自己観察=社会観察


 自己認識は、同時に社会認識であり、社会認識は自己認識である。なぜなら、社会のシナリオ=役割は、我々人間の中に存在するからである。言語や規範の習得そのものが社会の内面化である。社会学では、人間が社会を内面化することを社会化という。この社会化が社会秩序を発生させる基盤であり、社会の素になる。だから、自己を観察することで、自己に内面化した社会を観察することができる。(人間は他者との関係性の中にあり、自己観察は同時に他者観察も含むことに注意)
 
 人が社会について語ることができるのは、実は自己に内面化した社会を観察できるからである。調べてもいないのに社会を語るなという人もいるが、これは社会学というものに対する無理解からくる。少しでも社会学を学べば、調べなくても社会を語ることは可能であることがわかる。社会は自己に内面化しているからである。人間は、社会を内面化することで社会生活を送ることができるのである。ただし、自己の中に内面化した社会なるものを学問として体系的に観察するためには、観察道具が必要である。その道具が様々な社会理論である。
 自己と分離した外にあるものとして社会を定立し、物のように調べることではかえって社会の本質を捉え損なう。人間と切り離して社会は存在し得ないからである。社会理論の使用可能性によって、社会学の客観性は生じるのである。社会学者が社会学として社会を語ることができるのは、統計調査によるのではなく、社会理論によるのでるある。統計調査は社会学者でなくてもマスコミや行政機関でもできる。統計調査イコール社会学ではない。この点、勘違いしている人たちが多い。例えば、反社会学講座は、その勘違いの典型である。
 人は社会の中で生き、社会と連動している。個々の人間は、社会全体を写し取る鏡である。ちょうど、一つのモナドが宇宙全体のモナドを表象しているというライプニッツのモナド論に例えられる。社会学をするとは、社会理論を使用して自己を観察することで、社会を語り、新たな社会理論を構築していく営みである。少なくとも、それは理論社会学者には当てはまる。

 参考
 これは、宇宙論にも通ずることかもしれない。人間は宇宙の一部であり、一人の人間は宇宙全体を表象しているとしたら、自己認識がそのまま宇宙論となる。哲学者は、宇宙を調べはしないが、宇宙全体を語ることができ、哲学を構築していくのである。

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by merca | 2008-12-13 22:12 | 理論
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