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科学的知識とは、一種の推論である。


 科学的知識は、実験と観測による仮説の検証によって得られる。この検証というのは、部分から全体を推論する作業である。つまり、部分を調べて、全体も部分と同一の性質をもつだろうと統計学的に推論するわけである。ここで重要なことは、決して全体を直接に調査しているわけではなく、頭の中で全体を観念的に推論しているということである。統計学では、部分を標本集団と呼び、全体を母集団と呼ぶ。推論に頼る以上、科学は実証的でありつつも、推論する際の観念的な思考過程を必要不可欠とする。部分と全体の同一性を担保するものは、実験や調査ではなく、純粋に思考なのである。多くの場合は、統計的検定という統計学=確率論=数学による推論である。
 ほとんどの対象は全数調査が不可能である。全数調査が不可能な対象についての科学的知識は、全て客観的事実ではなく、確率論という純粋に人間の頭の中の論理でつくられた推論によって構築された観念的知識なのである。言うまでもなく、全数調査の不可能性がポパーの反証主義の前提となっている。
 ちなみに、部分と全体との間に完全な同一性が成立するのは、原子論的世界観である。世界のどの部分を切り取っても、原子という同じ要素から構成されているからである。これを自然の斉一性とも言う。金太郎飴の世界である。もしこの世界観が正しければ、一つの個体を調べるだけで全ての個体を調べたことと同じになり、確率論による推論はいらなくなる。部分即全体である。

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by merca | 2008-12-21 00:10 | 理論
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