コミュニケーションの事後成立性


 マックス・ヴェーバーは、行為の主観的意味が他者に理解されることで、社会的行為が成り立つと考えた。この場合、程度や質の差はあるものの、一応、行為の主観的意味は目的-手段図式で表され、理解されることになる。行為は、社会の最小単位である。別の観点からは役割とも呼ばれる。行為を要素として成立するシステム論を行為システム論という。パーソンズの社会システム論は、行為(役割)システム論である。
 
 ところが、ルーマンは、行為者自身の主観的意味を行為の社会的意味とするのではなく、他者による解釈を優先させ、行為を他者がどう解釈するのかというところに力点を置き、社会システムの要素をコミュニケーションとした。このことの意味は大きく、行為者の自己完結した主観的意味や他者と共有する解釈枠組とは関係なく、コミュニケーションが発生するという事態を意味する。この考えにより、より多くの社会現象を記述することが可能になった。行為者の主観的意味を他者が誤解していても、コミュケーションは連接していくということである。

 コミュニケーションは、情報、伝達、理解の三構成要素の選択過程からなる。例えば、レンタルビデオ屋でビデオを借りる際に、客がレジにビデオを置き、店員が「何日借りますか。」と言ったとする。この場合、客は多くの情報から「ビデオを借りる」という情報を選択し、多くの方法からビデオをレジに置くという方法を選択して伝達したことになり、一方店員は数多くの理解枠組みから客がビデオを借りるということだと理解し、「何日借りますか?」と言ったということになる。そして、客は「3日」と答え、現金を払い、コミュニケーションは連接していく。
 しかし、例えば「何日借りますか?」という店員の言葉に、客が「いやこのビデオが床に落ちていましたよ」と答えたとすると、店員は最初の理解を訂正し、「かたずけておきます。ありがとうございます。」と言うだろう。この場合、客の意図は「ビデオが床に落ちていた」ということを伝えたかっただけであるが、それを店員が誤解しても一連のコミュニケーションは続くことがわかる。また、時と場合によっては、誤解されたままでも、コミュニケーションが続くことはある。
 コミュニケーションの意味の確定は、連接する次のコミュニケーションによって確定することを、コミュニケーションの事後成立性という。重要な点は、コミュニケーションが連接していく限り、一区切りのコミュニケーションは、いつでも別の意味として解釈される可能性があることである。つまり、一つのコミュニケーションは、仮に意味を同定されているだけであり、究極的には不確定であるということである。

 例えば、これは、ブログにおける議論コミュニケーションにおいても重要であり、発言の意味内容の同一性は究極的には不確定なのであり、実体として固定化されてあるわけではない。発話者の主観的な意味が普遍かつ不動のコミュニケーションの意味ではないのである。
 コミュニケーションの事後成立性を掘り下げることで、社会なるものが創発する仕方を探求したい。

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by merca | 2009-01-18 19:28 | 理論 | Comments(0)
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