物と心の止揚としての言語=社会

 社会学的にいうと、脳と心、物理的世界と精神(心的)世界をつなぐものは、言語である。言語は、名称や文字のレベルにおいては音声や図形という物理的対象として物理的世界に属しながらも、概念や意味内容のレベルにおいては精神世界に属している。
 脳という物理的実体と心という精神的はたらきの結合は哲学的にも難題であり続けたわけであり、物理的世界と精神的世界をどのように関係づけるかは、多くの脳科学者や哲学者を悩まし続け来た。
 しかるに、言語現象においては、物理的世界と精神的世界が見事に結合されており、社会的に機能している。物理的世界と精神的世界の溝は、言語現象において解明されると考えられる。言語現象とは、端的に言うと、社会現象であり、社会学の対象となる。言語は一人の人間が発明したものではなく、人々の相互作用から自然発生した社会的なるものである。社会的世界は、物理的世界と精神的世界を媒介するのである。
 
 個々の人間にとっては、言語を習得すること、つまり社会を内面化することで、人間精神=心が発生し、物理的世界と精神的世界という区別が後から生ずるのである。その逆ではない。物理的世界と精神世界は最初から区別されているのではなく、後から生じた分別にしかすぎない。物理的世界が精神的世界を生み出したとする脳科学=唯物論も、精神的世界が物理的世界を生み出したとする唯心論も間違いであり、社会的世界が物理的世界と精神的世界の区別を生み出したと考えるほうが説明しやすい。
「はじめに言葉ありき」という聖書の真理は、あながち間違いとは言えないのである。仏教でも、言葉による分別(命名作用)から世界は生ずるとよく言われる、さらに、システム論的にも、言葉の本質である区別が世界の始源と考えられる。
 とりあえず、「はじめに社会ありき」を社会学の妙理として定式化したい。

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by merca | 2009-02-28 19:15 | 理論 | Comments(0)
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