厳罰化に科学的根拠はいらない。


 厳罰化の犯罪抑止効果の科学的根拠を吟味する行動科学の理論として、心理学の強化理論と社会学の合理的選択理論について述べたが、二つの理論の原理的差異について述べておきたい。

 人間の行動を分析・予測する理論としてどちらの理論が相応しいのかという点にもかかわってくる。
 強化理論においては、スキナーのネズミの箱のように動物実験に基礎をおいている側面が強く、理性的選択による行動ではなく、習慣的な学習的行動として人間の行動を捉える。
 プラスの刺激としての報酬を与えると、その行動は頻繁に発生し、強化され、マイナスの刺激としての罰則を与えると、その行動は減少するというわけである。この強化理論の行動法則は、動物のみならず、人間にも適用できるというわけであり、幼児の躾などにも応用できるのである。罰則によってマイナスの刺激を与えると、それだけその行動は避けるというわけである。
 しかし、学習するためには、一度、その行動を起こし、マイナスの刺激を受けておく必要がある。体験しないと学習できないという欠点がある。
 強化理論は、体験的な学習理論であり、体験学習をしていない領域の行動については、適用できないのである。さらに、一度、学習すれば、刺激反応的に行動するわけであり、理性的選択が介在する余地はない。強化理論は、社会学でいう習慣的行為のカテゴリーに入る。
 強化理論からすると、厳罰化は刑罰を受けたことのない人間には通用せず、あまり効果がないことになる。また、罰則を何回も受けている人間は罰則に対する耐性ができており、効果は持続しないと考えられる。
 結論として、行動心理学からは、厳罰化による犯罪抑止効果はあまり期待できないことになる。

 一方、合理的選択理論における人間行動は、頭の中の合理的計算によって作動する行為である。つまり、体験しているかどうかとは直接関係なく、損得勘定によって行動が決定される。刑罰を体験してなくても、その経済的損失や精神的苦痛を想像し、予期することで、合理的計算の中に組み入れることは可能なのである。
 厳罰化し、違法行為によって損をするのであれば、違法行為を選択することが少なくなることは簡単に理論的帰結として導出できる。合理的選択理論をもう少し精緻にすると、社会学者宮台氏の「権力の予期理論」のように、予期と選好の構造の掛け合わせで分析されることになる。
 合理的選択理論からすると、合理的に行動する全ての人間に対して厳罰化は、一様に犯罪抑止効果をもつことになる。

 強化理論は習慣を人間の行動原理として解釈し、合理的選択理論は理性を人間の行動原理として解釈している。言い換えれば、前者は快苦を価値とし、後者は損得を価値とする行動原理である。

 しかし、強化理論も合理的選択理論も見落としている側面がある。それは、人間は快苦や損得だけで行動しているのではなく、善悪によって行動しているという側面である。
 むしろ他人の物を盗まないのは、快苦や損得ではなく、人として恥ずかしく他人に迷惑をかける悪い行いだからである。法規範に違反する犯罪は悪であるという道徳意識によって、多くの人は行動しているのが常ではないかと思われる。人間は道徳原理によって動くという行動分析が強化理論や合理的選択理論には徹底的に欠けている。
 厳罰化は、社会の道徳感情のあらわれであり、その違法行為がどの程度道徳的に悪いことであるかを人々に通知する制度である。ある種の犯罪が厳罰化された場合、その犯罪は道徳的により悪い行為であるとみなされるようになり、道徳原理で動く人々はそのような行為を避けるようになる。つまり、人々の道徳心を刺激することで、厳罰化の効果は期待できるのである。
 多くの議論を見るに、厳罰化が人々の道徳感情を刺激することで、犯罪抑止効果をもつという視点が欠落しているように思われる。
 厳罰化の背景には、犯罪被害者の声があるとよく言われる。ある種の犯罪とその実態が社会に知れ渡り、深刻な被害を人に与えている道徳的に悪い行為であると評価されると、厳罰化は道徳的評価としては正当なものとして、人々に受け入れられるのである。
 
 厳罰化は人々の道徳的評価の世界の話であり、科学的根拠のあるなしで分析しようとすることは野暮なことである。道徳の世界までにも科学的根拠を求めようとするのは、正しく科学絶対主義者の発想である。厳罰化には科学的根拠は必要ないのである。社会学的に言うと、厳罰化を科学的根拠で正当化することは、道徳の根拠を科学に求めようとするカテゴリーの誤謬になってしまうのである。
  
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by merca | 2009-08-02 09:23 | 理論 | Comments(0)
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