学歴社会悪玉説という負け組の慰め神話

 (大卒/非大卒)という区別コードが社会階層の人員配分を決定するという観察をしている学者がいる。「学歴分断社会」の著者であり、計量社会学者の吉川氏である。吉川氏は、学歴は正規の格差発生装置だというのである。
 しかし、学歴は、終戦から高度経済成長期までは、世代間移動における格差是正装置として機能していたことを忘れてはならない。農村部から都市部へ人口移動が起こり、非高卒・非大卒の親の子が高卒・大卒という学歴を取得していき、社会階層の流動化が生じたことはよく知られている。
 学歴主義は、そもそも生まれと関係なく、個人の才能と努力で一流大学に入れば、高い社会的地位を獲得できるという機会の平等主義が本質である。親と同一の社会階層や職業から移動するための重要な社会装置なのである。学歴が既存の社会階層・社会階級を破壊したのである。
 ところが、吉川氏の説によると、高度経済成長期が終わり、成熟社会期に入ると、学歴が逆に格差発生装置として機能しているというのである。つまり、大卒の親の子が大卒となり、非大卒の親の子が非大卒となる傾向が認められ、格差が拡大し、学歴の世代間移動がなくなり、社会階層が固定化してきているというのである。そして、格差社会の正体は、(大卒/非大卒)という学歴格差であると指摘する。大卒であるかないかで、就職、結婚、年収、趣味、社交の範囲などが決定され、社会階層への所属も決定されることになるのである。吉川氏は、文化的再生産も起きていると考えているようである。また、非大卒の親の子が大学に進学する意欲が低いという点を指摘している。
 実は。この点は一番重要である。人数的には、少子化によって大学への進学は誰にでも開かれており、大卒となる方が社会的にメリットがあると考えると、非大卒の親の子が大学に行かない理由が非常に不可解である。高度経済成長期には、ハビトゥスなどおかまいなしに、親の学歴を越えた学歴を取得するのにあれだけ若者が躍起になったのにである。

 ここで一つの社会解釈を提唱しよう。
 それは、高度経済成長期では「いい学校、いい会社、いい結婚、幸福な人生」という文化的目標が人々を動機付け、受験競争に駆り立ていき、現在の高学歴社会を実現したわけであるが、成熟社会に入ると、どうもこの文化目標にリアリティがなくなり、若者が共有しなくなり、大学進学の意欲が減退しているという解釈である。
 
 学歴社会は社会的現実という認識に立てば、「いい学校、いい会社、いい結婚、幸福な人生」という文化的目標はリアリティがあるはずである。なのに非大卒の親をもつ若者には十分に内面化されておらず、大学進学率は上がらないのである。
 「いい学校、いい会社、いい結婚、幸福な人生」という文化的目標に対して、厳しく批判を加えてきた社会的風潮が背景にある。端的に言うと、学歴社会=道徳的悪という価値観である。学歴社会悪玉説である。

 「学歴だけで人生は決まらない」と豪語し、学歴社会を厳しく批判することが正義であるかのような批評家や教育評論家たちが多くいる。また、漫画・小説・映画・テレビドラマなどでは、学歴社会批判の発言をよく聞き、友達関係や恋愛関係のほうが大切みたいな主張がよくなされてきた。報道番組では、いじめ・不登校の原因として受験戦争を批判する番組が取り上げられてきた。
 実は、これらの学歴社会批判あるいは学歴社会悪玉説の言説は、受験戦争から脱落した「負け組」の非大卒の親にとっては自己の人生を解釈する救済神話として機能しているのである。学歴社会批判あるいは学歴社会悪玉説という神話を非大卒の親と子が価値規範として内面化することで、「いい学校、いい会社、いい結婚、幸福な人生」という文化的目標に魅力を感じることができず、大学進学への意欲が低くなるというわけである。
 
 さらに、学歴社会批判あるいは学歴社会悪玉説という嘘=慰め物語がよけいに学歴社会を温存させるという逆説を見て取れるのである。予言の自己成就と反対である予言の自己消滅という社会現象が起きているのである。

 もし吉川氏のいう学歴分断社会が社会的真理ならば、テレビドラマでよく否定される「いい学校、いい会社、いい結婚、幸福な人生」という文化的目標を絶対化する教育ママのみが、嘘をばらまく教育評論家やマスコミの偽善性を見抜いている社会的賢者なのである。
 
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by merca | 2009-10-11 11:59 | 社会分析
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