犯罪の規範意識論神話の刑事政策的意義

 浜井浩一や治安悪化神話批判論者たちは、障害、貧困、孤立、不就業などの生活要因が犯罪や非行を生み出す要因であると観察している。彼らは、どちらかというと、規範意識に犯罪や非行の原因を帰着させることを非科学的だとして嫌う。
 
 ところが、現実の刑事政策においては、規範意識ほど重宝される概念はない。犯罪者·非行少年は、規範意識が一般人よりも希薄であるから、犯罪や非行をすると考えている。つまり、犯罪の規範意識論である。規範意識論に準拠すると、犯罪·非行の自己責任論をもたらすことになる。規範意識とは、個人を取り巻く生活状況ではなく、個人の価値観·道徳観に基づく意識であるからである。湯浅氏が、貧困を怠け癖=勤労道徳の欠如に求める自己責任論を厳しく斥けるのと同様に、浜井浩一や治安悪化神話批判論者たちは、犯罪や非行の自己責任論を忌み嫌う。自己責任論をとると、刑事政策のイニシアティブを非科学としての法学にとられ、厳罰化論を肯定することになるからである。
 
 規範意識論に立脚した刑事政策は、特に社会奉仕活動に見られる。欧米では、社会奉仕命令を犯罪者に義務付けていることがあるが、これは犯罪者処遇ではなく、罪滅ぼしの刑罰として導入されている。しかし、日本の刑事政策では、処遇として利用されている。家庭裁判所では、社会奉仕活動を非行少年に履行させ、規範意識の向上に利用しているという事実がある。また、学校教育においても、社会奉仕活動が導入されており、規範意識の向上が目的とされている。以前、新聞記事で読んだが、やはり犯罪者処遇の一部として社会奉仕活動が応用されることが検討されているようである。

 「社会奉仕活動をすると、規範意識が内面化される。」という前提で刑事政策が進められているわけだとすると、日本の刑事政策は明らかに規範意識論に立脚していることになる。つまり、規範意識が高ければ、貧困や失業に関係なく、犯罪をしないという理屈である。
 しかし、「社会奉仕活動をすると、規範意識が内面化される。」という仮説が科学的根拠のあるものかどうかは実証されているだろうか? 安倍内閣が美しい日本という神話のもとに、社会奉仕活動の義務化を唱えたように、「社会奉仕活動をすると、規範意識が内面化される。」というのは、神話としても解釈できる可能性もある。
 
 しかし、実は、社会学理論の常識から判断すると、「社会奉仕活動をすると、規範意識が内面化される。」という命題は妥当である。人は社会的行為を通じて所属社会の価値規範を内面化していくからである。それを社会化という。この命題は、デュルケーム、パーソンズ、ミードなどの社会学理論と矛盾することはない。これまでの社会学的知識と矛盾することがないので、実証しなくても、この命題は社会科学的には妥当だと演繹されるのである。社会奉仕活動は、刑事政策における社会学的知識の応用なのである。
 ともあれ、規範意識論に基づく刑事政策は、規範意識や道徳を研究する理論社会学によって演繹的に根拠づけられ、責任論については法学によって処理されるのである。この分業が刑事政策の本道かと思われる。規範意識論に基づき、分業すると、浜井氏のように、法学と人間科学の対立は起こらないのである。

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by merca | 2009-12-19 18:08 | 理論
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