世界社会と国民社会の区別・・・結論

 国民社会を全体社会として見なすか、世界社会を全体社会として見なすかは、見なすことによって自己言及的に決定される。つまり、両者が実体として最初から存在するのではなく、連接していくコミュニケーションを観察するセカンドオーダーの観察者によってその都度規定される。
 簡単に言うと、国民社会を創発するか、世界社会を創発するかは、その都度の生成消滅するコミュニケーションの流れに委ねられる。
 従って、国民社会と世界社会は互いに絶対的に排斥する関係にはない。ある時は、人々のコミュニケーションは国民社会を創発し、別の時は人々のコミュニケーションは世界社会を創発しているという具合にである。これが実際であり、創発の妙理である。
 学コミュニケーションをしている時は、真偽の区別に準拠しており、国民社会の国境など関係なく、真理について語り合うことになる。これは、学システムの次元において世界社会を創発していることになる。しかし、投票行動や選挙活動をしている時は、人々は国民社会を創発していることになる。
 このように無限にある区別の中から一つの区別を他者と相互選択し、瞬時に一つの世界=社会をつくりだすことができるのである。参入とは生成、離脱とは消滅を意味し、生成即消滅の自由自在の境地に達するのである。区別によって三千大世界は生ずるのである。
 一つの区別を実体視し執着することを煩悩と呼ぶのである。一つの区別を実体視することから脱却するためには、区別そのものを否定し同一性=無我の境地=ニヒリズムに至るのではなく、別の区別を用いるべし。この点、再参入の区別の論理は、ニーチェの単なるニヒリズムや相対主義を凌駕しているのである。

 参考・・・ルーマンな人たち
「ポストヒューマンの魔術師」はいずこに いずこに・・・。興味ある方は検索すべし。
 しかし、「ポストヒューマンの魔術師」よりも、偉大な先人=狂人がおられるのである。
ルーマンカルト同盟は怖いのである。(エクルス)
山人のみが真人である。
ニセ科学批判者のブロガーたちは上の人たちを知っているかな・・・。
                    
  論宅の独り言
             (わかる人は社会学玄論のツーです。)

 
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by merca | 2010-01-18 22:28 | 理論
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