宗教が処理する領域=世界の根源的偶然性

 宗教は、物理世界や社会世界を対象とするのてばなく、世界の根源的偶然性を対象とする。この領域は決して科学の対象にはならない。

当ブログ「科学で扱えない領域について」より抜粋 
 「社会学では、世界の根源的偶然性については、科学の対象外であり、宗教のみが処理することが可能だと考える。世界の根源的偶然性とは、例えばこういうことである。交通事故にあってある人間が死んだとする。死亡の原因は科学的(医学的)には説明がつく。しかし、なぜこの人だけがたまたま交通事故にあって死なないといけないのかという原因はなく、偶然だとしかいいようがない。
 また、なぜ私は奴隷の身分で生まれてきたのだろうかと思う人がいたとする。しかし、その原因はなく、偶然としか言いようがない。この偶然性は、反証不可能であり、科学の扱うべき対象ではない。
 また、熱量の法則や質量保存の法則など、自然科学が発見した法則があるが、その法則自体が存在すること自体は原因がなく、偶然である。
 社会や人間は、このような世界の偶然性を未処理のままにしておくことができず、何らかの解釈や物語をつくりだす。それが宗教である。輪廻転生や神の存在である。

 スピリチュアルも占いも、この世界の根源的偶然性を処理するために物語をつくることが役目となる。世界の根源的偶然性を処理する社会的装置を宗教(スピリチュアル、占いも含む)と呼ぶのなら、宗教はなくならない。病気の科学的(医学的)説明の他に、人はたまたまなぜ私だけが病気になったのかという説明を求める。宗教が提供する物語(神が与えた宿命、自己の前世の因縁等)によって処理し、無害化する。
 
 ポイントは、この場合、科学的説明と宗教的説明は、なんら矛盾しないことである。というのも、一つの出来事に対する別の側面を対象としているからである。科学は「いかにして」という説明に答え、宗教は「なぜ」という説明に答えているからである。病気になった人は、医学的治療を受け続けつつも、宗教によって提供された物語で癒されるのである。問題は、この二つの真理を対立的に捉えたり、一方を優れているとする未熟な思考である。
 
 おそらく、スピリチュアルを批判するニセ科学批判者は、一つの出来事に二つの問い方があることを理解できず、スピリチュアルの真理をインチキ=嘘と呼んでいるのである。スピリチュアルが世界の根源的偶然性を適切に処理し、癒しをもたらす限り、有害にはならないのである。何度もいうが、世界の根源的偶然性については真偽のコードからは観察不可能なのであり、そもそもインチキだと見なすのは、カテゴリーの混同である。
 もし有害だとしたら、宗教の領域を科学的に判断する場合と、科学の領域を宗教的に判断する場合である。江原氏の発言を見る限り、科学を否定していないどころか、病気治療には医学が必要であるというなど、科学を肯定している。非常に寛容であり、すみ分けができており、成熟した思考である。
 
 むしろ宗教の領域を科学的に判断して真偽の区別をつけようとするニセ科学批判者の方が有害かもしれないのである。医学的治療も受けつつも、神仏に祈っている不治の病の人に対して、祈りで病気が治るというのは科学的事実でないからやめろと言うのと同じである。あるいは、不治の病になった人に病気が治るように祈願して与えたお守りを踏みつけるのと同じ行為である。祈ることが励みとなり、治療意欲が湧いている患者に対して、マイナスの効果になるのである。

    参考
 自然科学はいかにしてを説明するが、なぜを説明することはできないのである。ちなみに、人間の行為については、「なぜ」=「動機」から説明することは可能である。社会学は社会的行為を扱うために、なぜについては目的-手段で解釈し、社会を解明する。外からではなく、対象に動機を直接問うことができる社会学は自然科学よりも、真理到達については優遇されているのである。ある意味、はなから対象と認識が一体となった状態からスタートできるからである。

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by merca | 2010-02-07 22:07 | ニセ科学批判批判 | Comments(43)
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-09 01:28 x
他のエントリのコメントにも書きましたが、ニセ科学批判を全く理解していないのですね。批判対象を理解せず批判する論宅さんは見ていて情けないです。ちなみに、論宅さんがニセ科学批判を全く理解していないと言える決定的な所は次の文章です。

>おそらく、スピリチュアルを批判するニセ科学批判者は、一つの出来事に二つの問い方があることを理解できず、スピリチュアルの真理をインチキ=嘘と呼んでいるのである。

本当にkikulogの江原関係のエントリを一通り読んだのですか?一通り読んで上記の文章を書いているとしたら、絶望的な理解力ですね。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-09 02:05 x
・論宅さんの論理で行くと法外な値段で壺を売りつける宗教もOKとなりませんか?NGであればその理由は?スピリチュアルとの違いは何?
・金銭のやり取りだとしたら、お布施を募る既存の宗教も全てNGですか?OKだとしたら違いは何?金額の多寡?だとしたらいくら以下ならOKでいくら以上ならNGなの?
・心理的な脅迫の有無だとしたら、心理的な脅迫の有無はどうやって見分けるの?基準は?

>医学的治療も受けつつも、神仏に祈っている不治の病の人に対して、祈りで病気が治るというのは科学的事実でないからやめろと言うのと同じである。

・そんなニセ科学批判者いるの?誰なのか教えて?それともどこにもいない人を批判しているの?
Commented by merca at 2010-02-10 22:52
論宅です。
 ニセ科学批判を理解していないということですが、ニセ科学批判の共通する本質とは、どのようなものですか?
それは一つしかないのでしょうか?
ニセ科学批判者にも色々な人がおり、一般化するなとよく私は非難されますが、門前の小僧さんの論理からすると、ニセ科学批判全てに共通する考え方があるようなので、教えて下さい。以下、それを参考にさせてもらいます。
 
 kikulogを読む限り、少なくとも、菊池さんは江原氏のスピリチュアルをインチキだと見なしていると思いましたね。インチキかそうでないかという区別=真偽の区別から観察し、偽をマークして議論していると思います。まず、インチキなのにそれを本当だと受けとめる人がいることで被害が出るという観点ではありませんか?
 もし仮にニセ科学批判者が江原氏のスピリチュアルをインチキであると否定する根拠を示せないと思っているのなら、なぜ批判しているのかわかりません。インチキ=嘘だから被害でるおそれがあるから、批判するという理屈だと思うのですがね。
Commented by merca at 2010-02-10 23:03
 続きです。
 法律学的に言うと、霊感商法と江原のスピリチュアルの違いは、騙す=詐欺であるかどうかの違いです。(違法/合法)という法システム区別に準拠しますので、それが基準となります。
 何度も言いますが、心理的な脅迫は、本当の心の平安や癒しにつながりません。

 江原のスピリチュアルで癒されている人たちに対して、それはインチキだというニセ科学批判者は、医学的治療も受けつつも、神仏に祈っている不治の病の人に対して、祈りで病気が治るというのは科学的事実でないからやめろと言うのと同じだと思います。つまり、両者は、嘘か本当の区別だけで思想信条を判断し、物語の効果を無にしようとする点において同じです。

Commented by 門前の小僧 at 2010-02-10 23:05 x
・論宅さんがニセ科学批判を一様に扱った上で批判しているから「ニセ科学批判を理解していない」と言っている。
・ニセ科学批判にも色々あるから、具体例を示して何が問題なのか示せと皆から言われているわけでしょ。論宅さんが具体例をもとに批判をしていて、その批判内容に一定の理があれば「ニセ科学批判を理解していない」とは言いませんよ。
・加えて、少なくとも論宅さんが言うようなニセ科学批判者は、いないか、いるとしてもマイノリティの部類だからこそ、「ニセ科学批判を理解していない」と言っている。
・論宅さんが私の意見を聞く気があれば、宗教・スピリチュアルについての私の考えは言います。でも、その前に論宅さんのスピリチュアルに対する考え方についての、私の質問についてもちゃんと回答していただけますか?
Commented by merca at 2010-02-10 23:11
続きです。
 法律学的に言うと、霊感商法と江原のスピリチュアルの違いは、騙す=詐欺であるかどうかの違いです。(違法/合法)という法システムの区別に準拠しますので、それが基準となります。
 何度も言いますが、心理的な脅迫は、本当の心の平安や癒しにつながりません。

 江原のスピリチュアルで癒されている人たちに対して、それはインチキだというニセ科学批判者は、医学的治療も受けつつも、神仏に祈っている不治の病の人に対して、祈りで病気が治るというのは科学的事実でないからやめろと言うのと同じだと思います。つまり、両者は、嘘か本当の区別だけで他者の思想信仰を否定し、物語の効果を無にし、他者に心理的被害をもたらす点において同じです。
菊池氏や大槻教授をはじめ、スピリチュアルをインチキだと否定するニセ科学批判者や科学主義者が全て該当します。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-10 23:21 x
・ここで「法律学」というような実学を持ち出すますか?「騙す=詐欺」の定義について具体的にどの法律のどの条文に規定されているか、示していただけますか?そして、その規定で明確に霊感商法スピリチュアルを見分けられることを示していただけますか?
・法律について正しい知識を持っていれば、霊感商法とスピリチュアルの違いについて「法律」は持ち出さないと思うのですが。論宅さんは法律についても詳しくないようですよね。論宅さんのいう社会学では法律の知識は不要なんでしょうかね?まあ論宅さんのいう社会学は世間の社会学とは別物ともっぱらの評判ですが。
・論宅さんは霊感商法で癒されている(と勘違いしている)人の存在をもって、霊感商法の取締行為をも批判するのでしょうね。だって、勘違いかどうかの判断こそ、一筋縄ではいかないですよ?
Commented by merca at 2010-02-11 00:57
論宅です。
 騙すをどのように定義するかですが、門前の小僧さんは騙すという基準は重要でないと考えますか? 事実を誤認させ、相手から金銭等をとることだと思います。詐欺罪の判決書には、「誤認させ」という言葉がよく入っています。それと、犯罪の構成要件該当性が成立せねばならないので、騙しとってやるという犯意も前提となると思います。
 司法関係に多く知り合いがいますが、あなたが考えるよりかなり緻密にできています。判例を重ねるだびに、区別する基準は向上するわけです。
 江原氏の霊視には騙して金をとるという犯意はないとみますので、霊感商法とは異なると考えます。
 
 思うのですが、このままでは、少しでも自分の論理が通らないと、ニセ科学批判者は怒りだすという定番の印象が強化されるだけですよ。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-11 11:20 x
>どうして、菊池さんがインチキでない霊視があると信じているのがわかるのか教えて下さい。

インチキでない霊視があると信じている訳では無いですよ。霊視だからといって、即インチキであると決まるわけでは無いという事です。論理的思考力があれば、その違いは明快ですが、論宅さんは理解できませんか?
菊池さんがそういうものの存在を認めているのは「グレーゾーン」がらみの話をみればすぐに理解出来ると思うんですけどね。
Commented by merca at 2010-02-11 16:00
論宅です。
 菊池さんの霊視に対する考え方について、どのように解釈するかは分かれるところかもしれません。
 1、「全ての霊視はインチキである」
 2、「インチキな霊視とインチキでない霊視がある」
 3、「全ての霊視がインチキかどうかは、わからない。」
私は、限りなく、1であると思いますが、門前の小僧さんは3であると考えるわけですね。門前の小僧さんが尊重する具体的事例を示して欲しいです。つまり菊池氏が「全ての霊視はインチキかどうかはわからない。」あるいは「霊視だからといって即インチキと決まるわけでない」等と同じ意味内容の発言があるのか教えて下さい。私にばかり具体的事例を提示せよというのなら、無論、実証的根拠を示せるはずです。門前の小僧さんは具体例を示さず、類推しているだけになります。自己矛盾です。
Commented by merca at 2010-02-11 22:47
続きです。
 現在のニセ科学批判は菊池氏が教祖であり、菊池氏をもってほぼ全てのニセ科学批判者の典型例とすることができると考えます。なぜなら、ニセ科学批判者の中で、菊池氏の説に反対する人は見かけないからです。質的な社会調査法では、代表例を調査するのは、基本です。
 宗教社会学的な考察になりますが、今のニセ科学批判は、宗教組織と同じで、菊池氏のニセ科学批判教を信仰するサプリーダー=常連が数名おり、その下に多くのニセ科学批判に同調するブロガーやコメント屋がいるわけです。
 宗教組織と同型ですから、教義は一つです。それは菊池氏によるニセ科学批判です。つまり、菊池氏の思想でもって一般化することが可能です。
  違いますか?   
 ニセ科学批判批判をするブロガーたちは、ニセ科学批判を宗教と同じように捉えており、そのように感じています。ニセ科学批判に多様性はないです。信仰集団と似てますから・・・。
 江原氏のスピリチュアルに対する門前の小僧さんの最初の考えは菊池氏と異なっていたと思って期待していたのですが、残念です。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-12 23:53 x
・ちょっと読み間違えました。法律ではなく「(違法/合法)という法システムの区別に準拠」するという主張だったのですね。と言うことですね。私が尋ねたのは、一般人が「霊感商法」とそうでないものを区別するための基準だったのですが。法システムでの区別に準拠というのは詐欺罪として告訴され、司法で詐欺罪が確定しない限り、その区別はつかないと言うことでしょうか?それとも、準拠というからには、一般人でも簡単に区別可能な基準が示されているのでしょうか?
・「犯意」という基準も上げていますが、「犯意」の有無の判断も一般人には相当に難しくないですか?
・別に論宅さんとのコメントのやり取りで怒っていませんが。反論すべきことが多すぎるので丁寧に書くことは止めましたが。そういう意味では手を抜いていますが、それでも色々反論するだけマメだな思ってますが。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-12 23:58 x
・菊池さんの霊視に対する考え方の実例ですが、まさに論宅さんがリンクをはったkikulogのエントリ(「江原啓之が旭川大学の客員教授になる件」)で十分でしょう。同エントリではきちんと「江原氏の霊視がインチキであること」と書いてありますよね。霊視がインチキではなく、あくまで「江原氏の霊視がインチキ」と書いてます。「江原氏の」と限定をしている事から、霊視一般と異なる扱いをしている事は明白です。
・私は3の具体的根拠を示しました。論宅さんも1であると思う具体的根拠を示すか、さもなくばご自分の発言を撤回されますよね?
・菊池氏の説に反対する人がいないから菊池氏が教祖だと言うのは2つの意味で間違っています。ひとつはキリスト教に反対しない人は全てキリスト教の信者ではありません。2つめは菊池氏の言ったことに対して反対する人がいないというのは事実ではありません。kikulogでは菊池氏もそこでのディスカッションを通して間違いを認め考えを修正したことが何度もあります。いくら間違いを指摘されても考えを改めない論宅さんの考えの方がよっぽど宗教的だと思いますよ
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-13 00:02 x
・都合の悪い質問は無視し続ける、その議論に対して不誠実な態度はなんとかなりませんか?例えば、心理的脅迫の有無の客観的な見分け方について、きちんと示していただけませんか?おそらく論宅さんにとっては、スピリチュアルと霊感商法を見分けるための大事なポイントだと思うのですが、違いますか?
Commented by merca at 2010-02-13 01:09
論宅です。
 法システムを司法機関という古典的な見方をすると、門前の小僧さんのような考え方になりますが、違法か合法かを論じることは一般人にも開かれていると考えます。司法機関という組織体におけるコミュニケーションに限定する必要はありません。ルーマンのシステム論社会学などでは、司法機関のみならず、一般人による法的な議論によるコミュニケーションも法システムの内に入ります。
 それに一般人も違法だと思えば、司法機関に告訴することになります。私人訴追も可能です。無論、弁護士に依頼するすることも可能です。
 合法か違法かを論じる能力=リーガルマインドが一般人にもあるからこそ、裁判員制度もあるわけです。「事実誤認させ金品を取る」と「犯意」という合理的根拠や証拠があれば、詐欺として論じることは可能であり、その先には司法機関への告訴があるわけです。
 霊感商法の被害者の会なども、個々人の騙されたという感覚から始まり、最後には刑事告訴を目的とします。
Commented by merca at 2010-02-13 02:03
続きです。
 菊池氏が江原氏の霊視をインチキと見なすことについては、私も同意します。ただ、その発言だけをもって、その人物が「霊視一般はインチキでない」と「霊視一般はインチキである」のどちらの考えをもっているかは、それこそ判定ができないと思います。
 菊池氏が「全ての霊視はインチキである」と思っていると仮定しても、「江原氏の霊視がインチキである」という発言とは矛盾しないからです。菊池氏が「全ての霊視はインチキである」と思っている可能性を完全に否定したことにはなりません。かえって、「江原の霊視も(例外ではなく)インチキである」という意味とも受け取れます。
 やはり積極的に断定した発言証拠を示して欲しいです。
 一方、これまでの菊池氏の発言や書物の内容からして、霊視などのスピリチュアルに対して否定的見解をもっており、安易に信じることへの警告を発していることから、自然に考えると、やはり1の可能性は高いし、1であることを望んでいると思います。
Commented by merca at 2010-02-13 02:04
さらに、霊視を本当だと認めると、これまでの他の既存の科学的知識と矛盾しますので、否定すると思います。菊池氏は、科学の基準として、既存の科学的知識との整合性・無矛盾性を重んじます。ですので、菊池氏が霊視そのものを否定すると考えた方が合理的です。
 ちなみに、具体的事例を示さないと説得力をもたないと考えるのは、門前の小僧さんの考えであり、私の考えではありません。しかし、私もサービスで具体的事例をなるべく提示しそうと思っているだけです。菊池氏が科学の基準として、既存の他の科学的知識と矛盾しないことをあげているので、その前提から、論理的に結論を出すと、霊視そのものを否定する立場にあると考えます。
Commented by merca at 2010-02-13 02:13
心理的脅迫の有無の客観的な見分け方についてですが、心理的なものは全て主観的な感覚に基づくので、まずは本人に質問する以外にないと思います。臨床心理学の知識を応用し、個々のケースについて深く面接していくことでわかります。
 心理的脅迫は、脅されたという強迫観念の存在が前提となります。被害者が脅されたという感覚を所持しているかどうかがポイントになります。
 強迫観念とは、それに従わないと何か罰則があるという主観的な思いですので、本当の意味での心理的安心感を得ることはできません。

 人間の心は、複雑であり、白黒ハッキリと客観的に区別をつけることは困難であると言えましょう。被害者の主観的な感覚にたよるしかないと考えます。自然科学の分析知よりも、臨床知の分野となります。
Commented by merca at 2010-02-13 02:38
菊池教授のニセ科学批判と門前の小僧さんのニセ科学批判に根本的に異なる点はありますか?枝葉末節の部分において異なるのは仕方ないと思いますが、根本的な部分において異なるかどうかに興味あります。
 特に、科学と非科学を区別する基準、つまり科学観について相違はありますか? 科学観において菊池教授と決定的な相違があるニセ科学批判者がいないかと探しています。
 科学観において根本的な差異がある方がおれば、ニセ科学批判も多様性があると考えたいです。正しい科学的事実は常に一つであり、従って正しい科学観も一つであるという信仰をもっていると思います。多様性を認めないから議論することで、一つの正しさに絞ろうとしていると考えます。ニセ科学批判者の議論好きは、正としいものは一つという共通信念から来ていると思います。多様性を認めることは、正しさは一つであるというニセ科学批判者の根本仮説に矛盾します。そもそも正しいことは一つと思っているので、ニセ科学批判者は論争をするわけです。何のための議論なのか?それはただ一つの正しさを追求するためです。  
 参考エントリー 科学の絶対性とは何か?
http://mercamun.exblog.jp/7936760/
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-13 17:48 x
論宅さん

今回のコメントは、いつもより輪をかけてダメなコメントが多いですね。

>科学と非科学を区別する基準、つまり科学観について相違はありますか?

以前のコメントで「科学の定義」はいろいろあって定まっていないと発言したのに、こんどは異なる科学観は無いですか?本当に深く考えずに適当に発言をされているのですね。


>心理的脅迫の有無の客観的な見分け方についてですが、心理的なものは全て主観的な感覚に基づくので、まずは本人に質問する以外にないと思います。臨床心理学の知識を応用し、個々のケースについて深く面接していくことでわかります。

と言うことは、江原氏のスピリチュアルカウンセリングで誰も心理的脅迫を受けていないとは言い切れないと考えますが、何を根拠に江原氏の「スピリチュアル」では心理的脅迫が無いと言い切るのですか?
それとも、江原氏の「スピリチュアル」にも「心理的脅迫」があるかもしれないが、「犯意」が無いから「霊感商法」では無いと言う主張でしょうか?

あと、上記の見分け方だと、スピリチュアルカウンセリングを受けている本人は判定不能ですね。臨床心理学の知識を持った人間が深く面接しないわからないのだから。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-13 17:49 x
続きです

論宅さんが、具体的な根拠なく『菊池氏が「全ての霊視はインチキ」と考えている』と決めつけている事は理解しました。具体的な根拠なく決め付け、その決めつけた内容をもとに批判する行為がどれだけ不毛な行為か理解していないようですね。


>違法か合法かを論じることは一般人にも開かれていると考えます。

以前のコメントで「判例を重ねるだびに、区別する基準は向上するわけです。」と書いておきながら、それですか。本当に深く考えずに発言をされていますね。本当に一般人が「判例」により積み重ねられた基準をもとにした判断が出来ると考えますか?

私は社会をシステムとして考えたときには、刑法による刑事罰は最後の砦であり、それ以前にいくつもの予防線を張っておくべきと考えます。その予防線として、「形而上にとどまらない宗教は怪しい」という考えは非常に有効だと思っています。その考えから「スピリチュアル」を批判します。
Commented by merca at 2010-02-13 23:07
論宅です。
 誤解しています。全く逆です。門前の小僧さんが科学の定義は固定的でないと考えるからこそ、菊池さんと門前の小僧さんの科学観の相違があると思う訳です。門前の小僧さんが本質的な点で菊池さんの科学観と異なるとわかれば、一義的にニセ科学批判者の科学観を捉えなくてすむわけです。 
 例えば、菊池さんは「全ての霊視はインチキである」という信念をもっているが、門前の小僧さんは「全ての霊視はインチキでない。検証・反証してみないとわからない。」という異なる立場であってもいいわけです。

 菊池さんの科学観の中でも、科学と非科学を区別する基準として、これまでの他の既存の科学的知識との整合性を重視するという考え方は斬新であると思っています。真理の一致説の中に、真理の整合説を導入したからです。反証実験するまでもなく、霊視はインチキだと切って捨てると思います。演繹的な推論からすると、菊池さんは霊視そのものは反証実験をするまでもなくインチキであると考えているはずです。具体的事例をだせないのは、お互い様ですが、論理的根拠としては、私の方が明らかに説得力があると考えます。
Commented by merca at 2010-02-14 22:09
論宅です。
 霊感商法と江原氏のスピリチュアルカウンセリングを区別する基準は何か?
一般化していうと、宗教、占い、スピリチュアルなどの精神世界の中にも、危ないものとそうでないものがあり、それを分ける基準をどこにおくべきかということに、門前の小僧さんは興味があるとみました。
 私は、その区別の基準を、心理的脅迫、騙し=詐欺行為などにしてはと提案しましたが、門前の小僧さんが指摘するように、それでは少し曖昧で不十分であるというのはわかります。ただ、人間の世界は物理世界のように単純に割り切ることができず、臨床知や実践知に頼る他ないと考えます。しかし、自然科学のようにもっとはっきりとした区別を求めているわけですね。
 その一つとして、「形而上にとどまらない宗教は怪しい」があるというわけですね。つまり、精神世界の分限を越えて物質世界にまで口出しするスピリチュアルは、危ないという基準ですね。これについては、基本的に賛成です。同じように、「形而下にとどまらない科学は怪しい」も正しいことになります。死後の世界や輪廻転生などの形而上の世界について、科学が言及すると怪しくなります。危ない科学ですね。件のエントリーの趣旨となります。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-16 01:16 x
論宅さん

ひとつ合意できましたね。正直予想外でしたが、良いことは素直に受け入れたいと思います。
>「形而上にとどまらない宗教は怪しい」があるというわけですね。
>基本的に賛成です。

kikulogで江原氏のスピリチュアルが批判されているのは、形而上に留まらないからだと私は理解しています。違う点があれば具体的に指摘してください。そうすれば生産的な議論になるかと思います。

>「形而下にとどまらない科学は怪しい」も正しいことになります。
私もそう考えています。ただ

>死後の世界や輪廻転生などの形而上の世界
「死後の世界」は形而上の世界ですが、それに伴なう心霊現象、また「輪廻転生」やそれに伴なう前世記憶などは形而下の世界の話になりますので、それを批判する科学は怪しくありません。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-16 01:18 x
続きです。

科学の定義に関する話については、はっきり言って論宅さんが何を言いたいのか良くわかりませんが、恐らく色々と誤解をしていると思われます。

例えば、
>これまでの他の既存の科学的知識との整合性を重視するという考え方は斬新であると思っています。

斬新でも何でもなく、科学における常識だと思います。科学のプロセスに織り込まれています。サイモン・シンの「宇宙創成」やローレンス パウエルの「白亜紀に夜がくる」という科学読物を読めば、その辺のことが実例として理解出来ると思います。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-16 01:19 x
この世界(形而下の世界)で霊がみえると言う霊視については、現在あるものは恐らく全てがインチキでしょう。少なくとも現状ではそのように扱って問題ありません。しかし、だからと言ってインチキでない霊視が出現する可能性は誰も否定していません。形而下の世界での現象として、科学のプロセスにのっとって霊視が立証される可能性は0ではありません。
ここで良くある誤解は、科学的に完全に否定出来ないのなら、あり得るものとしてその可能性をきちんと検証しないのはおかしいという考えです。この誤解は科学のプロセスを理解していないために発生します。
既存の科学的知見に反する説は、その説を主張する側に立証責任があるとするのが科学のプロセスです。なぜなら、既存の科学的知見はそういうプロセスを経て生き残っている知見であり、そのプロセスを経ることで膨大に積み上げられた観測事実との整合性が取られている訳です。そのプロセスを経ることで以前にあった科学的知見よりも事実に近い事が保証されるわけです。この科学のプロセスがあるため、科学は事実に近づき続ける事が保証されるのです。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-16 01:19 x
あと一つ付け加えるなら、可能性は0では無いものの中でも、既存の科学的知見との整合性の観点から、限りなく0に近いものから、それなりに1に近いものまで色々あるわけです。01の2元論ではありません。菊池氏が言う「グレーゾーン」とは、まあそういう事です。
Commented by merca at 2010-02-17 01:02
論宅です。
 門前の小僧さんの霊視も科学的に立証される可能性は否定できないという考えもわかりますが、私は、本音を言うと、霊視は科学的に立証される類いのものではなく、霊能力者と称する人たちの主観的事実=物語にしかすぎず、外界の対象物=超事実に対応する客観的な事実=物理的事実とは別物だと考えます。
 主観的な事実=精神的な事実なので、いつまでたっても科学的に立証することも反証することも不可能であり、科学の対象外であると考えます。つまり、物語にしかすぎないわけです。物語について、インチキとか本当かと問うことはナンセンスだと考えます。
 このように、輪廻転生も含めてスピリチュアルや宗教を物語だと処理することで、物理的事実=形而下の事実と妨げ合うことがなく、無害化しています。(事実/物語)という区別コードで処理することを勧めます。

Commented by merca at 2010-02-17 01:07
続きです。
 輪廻転生は形而下であり、インチキだとすると、輪廻転生を唱える仏教は、一部を除いて、全てインチキになります。仏典には、釈迦如来の輪廻転生などよく出てきます。私は、これらは命の存在理由=生きる意味を苦悩する人々に提供する物語として捉えているので、インチキとは考えていません。
 科学の立場から、輪廻転生を前提とする仏教は全てインチキであると考えるのなら、仏教思想や仏教文化の破壊につながります。
 門前の小僧さんの考えからすると、同じく神社で病気治療の祈願をすることも、現世利益の形而下のこととなり、インチキとなります。多くの日本人は神社で病気治療の祈願をします。信仰で病気が治ると考える新興宗教も多くあります。この点、どのように考えますか?
なぜ人間や社会は宗教を必要とするかという問いとつながってきます。
Commented by merca at 2010-02-17 22:13
論宅です。
 念のために言うと、門前の小僧さんの主張である「形而上にとどまらない宗教は怪しい」という意見には基本的に賛成です。ただ、形而下について言及する宗教やスピリチュアルであっても、形而下の世界の知識=科学を否定しない場合は、怪しくないと考えています。
 例えば、神社で病気治癒のために祈りながらも、医学的治療=科学的治療を受ける人は多くいますし、神主も神に祈っているのだから医学的治療を受ける必要はないと信者に言いません。神主、僧侶、神父も、神仏に祈っているから、科学は間違いであり、頼るなとは言いません。医学的治療がうまくいきますようにと神仏に祈るわけです。それで運よくよい医者にあたった偶然に対して、神仏の導きのおかげだとありがたく思うわけです。多少、形而下についての言及があっても、形而下の事実である科学的知識を否定しない宗教とスピリチュアルは、怪しくないと考えます。江原氏は、自己の霊視を相談者に対しては物語とし、科学を否定していません。
Commented by merca at 2010-02-17 22:14
結論を言うと、形而上にとどまらないばかりか、科学的知識も否定する宗教やスピリチュアルは、怪しいというべきだと思います。また、形而下にとどまらないばかりか宗教的物語や神話を否定する科学は、科学絶対主義であり、怪しいと思います。
 科学は、生きる意味やこの世界が何のためにあるのかという精神世界の価値について判断することができないからです。もし科学の立場から、インチキだと、それを批判するようなら、ニセ科学となるでしょう。
 一つの出来事に対して、人は科学的説明の他に、物語的意味を付与することで、安心感や癒しを得ることができます。その物語が宗教やスピリチュアルです。人は出来事に意味を求める存在だと思います。物語は、対象に根拠があるのではなく、主観に根拠があります。ですので、対象を認識するという科学とは構造が違うと考えます。対象を何々として見なす(役割付与)というのが物語的思考であり、対象が何々であると認識するのが科学だと思います。
 ちょうど、貨幣の価値は貨幣という物体に宿っているのではなく、人々の共同主観の中に根拠があるのと同じであります。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-19 23:00 x
論宅さん

そろそろ終盤戦ですかね。

まず、一点訂正です。「輪廻転生」について詳しく知らずに「形而下」と言いきってましたが、よくよく考えると「前世記憶」や「前世の行いが悪いから、今こんな運が悪いんだ」みたいな話がなければ、必ずしも「形而下」とは言えないと考えます。前世と今世の間に因果関係がなければ、形而上にとどまる世界観と言えるような気がします。まあ仏教について詳しくないため、この辺は正直良くわかりません。なので「輪廻転生」を「形而下」とした発言を撤回します。
Commented by 門前の小僧 at 2010-02-19 23:01 x
続きです。

論宅さんのスピリチュアル擁護には一点問題が残っています。論宅さんコメントを簡単にまとめると「物語」は「客観的事実」と異なってもOKという話だと思います。そこで、相手の語っている内容が「物語」として語っているか、それとも「客観的事実」として語っているかの判定はどうするのでしょうか?
江原氏の語る「霊視」は「物語」と論宅さんは言っていますが、何故そう言えるのですか?
それと同じ基準を用いて、霊感商法の語る「霊視」は「物語」でないと判定出来ますか?
それが出来なければ、論宅さんの意見を用いると、結局その霊感商法による被害が拡大し法的に詐欺として裁かれるまで、人々は騙される事になると考えます。

物語の定義(基準)によっては、同意可能(というか私と同じ意見になる)だと思います。しかし私の考えでは
・キリスト教でも創世記を事実として捉える宗派(原理派?)やID説を唱える宗派はNGだけど、多くの宗派は創世記を物語として捉えているため、OK
・江原氏は霊視を物語として語っていないため、NG
という感じなのですが、論宅さんは江原氏の霊視を物語と言っているので、物語の基準・定義が私とは異なるのだろうと予想しています。
Commented by merca at 2010-02-22 00:56
 門前の小僧さん 論宅です。
 門前の小僧さんは、霊感商法の被害を防ぐことに最大の関心事があるようですね。
 江原氏は、オーラーの泉で前世を霊視する際には、これは物語として聞いて下さいと断りを入れます。つまり、信仰の問題として受け取って下さいということです。前世は受け手にとっては事実かどうか確認しようがありませんので、物語として信じるか信じないかのレベルになります。つまり、信仰のレベルの物語として観察することを勧めるわけです。神社でお祓いを受けて厄除ができることを信仰するのと同じです。
 霊感商法は、事実誤認を前提とするので、信じるという心理作用ではなく、壷を買わないと不幸になることを事実と思わせます。被害者に事実として認識させようとします。霊感商法の人は、事実ではなく、物語として受け取って下さいとは言わないと思います。壷を買って幸福になった客が多くいると嘘をつき、客観的事実であるかのように見せかけます。


 
Commented by merca at 2010-02-22 01:50
 江原氏の仕事は、基本的に霊視を使用したカウンセラーであるので、相談者に対して癒しや生きる意味を与えることを目的とします。要するに、相談者の気持ちを癒す物語を提供したり、助言をすることです。
 ある意味、占師と同じだと思います。占いには科学的根拠はなく、客は信じるか信じないかを選択するだけです。占いがあたらなかったことで、占師に訴訟を起こす話は聞いたことがありません。これと同じです。江原氏の霊視も占師も、信じる人の自己責任に任されます。
 テレビでも血液型占いや星座占いが朝の番組で流れていますが、あたらなかったと言ってテレビ番組を訴える人はいません。
 我々日本人は、物語(信仰)と事実の問題は分けて考える訓練がなされていると思います。宗教を信仰している科学者も多くいます。
 物語と事実の区別で判断するよりも、もっと役立つのが下の方法です。
 霊感商法は犯罪の一種ですので、霊感商法の被害を防ぎたいのなら、お金を請求してきた時点で、一度、相談機関に相談するなどして手をうつことです。犯罪被害に合う前に、警察の防犯教育を受ける方が役立つと思います。
Commented by merca at 2010-02-22 01:51
物語と事実の区別ですが、現代社会では、宗教、占い=物語、科学、学問=事実であるという図式が定着していると考えます。
 事実は、認識と対象の一致という尺度で評価されますが、物語は人々の精神的自我を支えたり、社会を統合したりする機能があり、それで評価されます。物語に対する評価は、対象と認識の一致とは関係ありません。ちみなに、天皇制は日本国家社会を統合する物語として機能しています。
 江原氏が提供する物語は、社会ではなく、個人や家族にかかわるものになります。
 
Commented by メルヒオール at 2010-02-26 05:58 x
メルヒオールです、論宅さん、こんにちは。

ちょっとコメントしたくなったので失礼、、、

例えば肉親が死んだとき、私は科学者として目の前の現象を分子生物学や量子力学の知識を動員して科学的に理解できるわけですね。ところが、そのような理解の仕方と同時に、「天国に行った」という理解も平気でしているわけですね。後者の理解の仕方は科学的ではありませんが、科学的でないから間違っているんだ!という主張は科学者として理解に苦しみますねえ(科学的でない理解の仕方は間違いなんですかねえ??)。
もちろん、そんな主張があればの話。。。
Commented by merca at 2010-02-27 12:57
 メルヒオールさん お久しぶりです。
 一つの出来事に対して、二重の理解が成立することで、社会は回ります。肉親の死に際して「天国に行った」と発したことで、葬式でニセ科学批判者に科学的に間違いであると咎められるのなら、文化否定も甚だしいと考えられます。物質世界と意味世界を混同していることになります。意味世界については、自然科学の方法で語ることはできません。
 ところで、ニセ科学批判者の悪行に関しては、下の方のエントリーで指摘していただいています。
http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100214/1266180969
Commented by メルヒオール at 2010-02-27 23:04 x
論宅さんこんにちは。

リンク先の記事を読みました。
「的確に検証して判断する能力のないレベルの人々が集まってきて、自分達の集団には判断力が備わっていると、過信・慢心・錯覚・増長して、蔑視的態度で、なんの根拠も示せない段階で、出鱈目な判断を下して、誤情報をインターネット上に流布して暴れ回る形になっている」という、mayumi_charronさんのコメントに同感です。
例えば、ニセ科学批判の一人であるmimonという人がCoeyという人の書いた論文に対して最近馬鹿げたイチャモンをつけました。論文を審査している教授達よりも、自分の方が科学的真実を見極める能力が上だとでも思っているのでしょうかねえ(論文の審査がどういうものか、知らないのでしょうねえ)。その慢心が恐ろしいと思った次第です。
Commented by 門前の小僧 at 2010-03-07 17:27 x
論宅さん
ずいぶんと間を空けてしまいましたが、前回の続きです。

>門前の小僧さんは、霊感商法の被害を防ぐことに最大の関心事があるようですね

この発言を見ると、論宅さんはやはり「ニセ科学批判」に対する基本的な認識が足りないのでは無いかと思ったりします。
例えば論宅さんが目の敵にしているkikulogでの「ニセ科学批判」の動機は、今の世の中での「科学」が持つ各個人の価値観への影響力を踏まえて、その科学を騙る存在及び、その影響力の反動としての反科学を唱える存在への批判を行っていると私は考えます。なので、批判対象は社会的に害をなす(あるいは今後害をなす可能性が高い)存在です。そういう意味では「霊感商法の被害を防ぐ」というのは「ニセ科学批判」にとって非常に重要です。
Commented by 門前の小僧 at 2010-03-07 17:28 x

>江原氏は、オーラーの泉で前世を霊視する際には、これは物語として聞いて下さいと断りを入れます。つまり、信仰の問題として受け取って下さいということです。

これは、最初から言っていたのでしょうか?(私の以前見た時の記憶ではこんな断りがなかったと思います。)
最初から言っていたとしたら、問題は言えば良いではなく、受け取り手がきちんと理解出来る形で断りを入れているかどうかですね。wikipediaの「オーラの泉」の項にあるように、2007年には「全国霊感商法対策弁護士連絡会」から批判的に取り上げられていることを見ると、その断りはあまり有効では無かったと言うことでは無いかと思います。
最初は断りを入れていなかったけど、上記にあるような批判を受けて断りを入れるようになったとすれば、まさに色んな批判があればこそ良い方向に向かったと言うことですよね。「ニセ科学批判」でも最近は江原氏の批判は流行らないですから、江原氏が批判を受けて改善されたためにあまり批判する必要がなくなったのかもしれません。
Commented by 門前の小僧 at 2010-03-07 17:29 x
お金の請求の有無で霊感商法と宗教的なものを判断する方法を論宅さんは挙げていますが、それを判断基準にすると、お布施を請求する既存宗教も否定せざるを得なくなるため、それだけでは不完全かと思います。
私の考えでは、現世利益の対価としてお金を請求するものや、現世の不利益を形而上のもの(前世とか)に求める考えは疑ってかかるべきと考えています。

ずいぶんと間を空けてしまったことからもわかるかもしれませんが、論宅さんとのやり取りにも飽きてきましたので、恐らく、これが最後になるかと思います。ではではごきげんよう。
Commented by 64 at 2010-03-17 09:14 x
 小難しい話は抜きにして、「ニセ科学批判研究機関」でも立ち上げて、ニセ科学批判はそこの専門ってことにしてしまえばいいんじゃないですか。もちろん、そこの機関には「科学の専門家」や「心霊現象研究の専門家」を入れて、専門家による徹底的な調査を行う。

 要するに、論宅さんがニセ科学批判批判を行っているのも、あるいは少なからぬ人が現在のニセ科学批判のありように疑問を呈しているのも、専門家ではない素人の一部が「ニセ科学批判者」を自称し、徒党を組んでネット上でいささか常識はずれな批判を行っているからなのでしょう。全部がそうだと言わないが・・・・・・。

http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100214/1266180969

 上のエントリーの方がおっしゃっている通り、そういう検証能力を持たない非専門家による過剰な批判は、ある意味ニセ科学そのものより厄介です。批判や研究は素人ではなくてその道のベテランに任せましょう。

 だったら、きちんとした検証能力を備えた専門家に批判やら評価を任せたほうがいい。素人のニセ科学批判よりもそちらのほうがよっぽど信用できるでしょう。
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