貧富格差の自己責任説=自業自得説は、科学的である。


 貧富格差の自己責任論は、極めて科学的である。というのも、自己の行為という原因によって自己の地位という結果が決定されるわけであり、因果図式をとるからである。
 受験勉強をしたという行為が、東大合格という結果をもたらす。東大生が就職活動をしたという行為が一流企業就職という結果をもたらし、裕福になる。勉強してよい大学に入るという行為は、裕福な生活という結果をもたらす。また、野球の練習をするという行為で野球がうまくなり、プロ野球選手となって裕福になる。正しく、自己の努力や才能という自己要因が自己選択を経て富を生み出す。
 反対に、勉強をさぼったという行為が高校進学を不可能にするという結果を生み出し、就職の幅をせばめ、正社員になれず、貧困になる。犯罪を犯すという行為が免職につながり、貧乏になる。酒浸り・借金・ギャンブルという行為で、失業し、貧乏になる。

 特定の社会において、一定の行為=原因が一定の社会的地位=結果をもたらすことを分析するのが、社会学の役割である。また、因果図式で解釈するわけでもあり、科学的である。

 それに比べて、貧富格差は社会に原因があるという思想は、極めて非科学的である。個人の行為とその結果を捨象し、たまたまあなたが貧困なのは、あなたの努力や才能を認めない社会が悪いわけであり、社会を変えるべきだと考える。つまり、貧困を偶然の産物だと捉える。反貧困論も含めて、全ての貧困の社会責任説は、究極的にはこの社会的生の根源的偶然性=所属社会の自己選択不可能性に正当性の根拠を帰着させることになる。偶然性は科学の対象外であるわけであり、要するに非科学的である。

 また、この単純さが、人々をひきつけることになる。社会=悪、自己=善という考えは、いかにもシンプルであり、自身が傷つくことはないからである。これまでの自己の選択と行為を分析することになしに、自己の貧困の原因を社会のせいにすることは容易いし、楽なのである。自己の選択と行為がもたらす結果を観察すれば、社会学的・科学的にならなざるを得ないのである。この社会では、どんな選択が支持され、どんな行為が評価されるのか、観察し、実践することなしに、単に悪い社会を変えるべきであるという短絡的な思想に飛びつくことは容易い。
 会社が倒産し、失業している人も、所詮、自己責任である。倒産をしない大企業や公務員に就職できず、倒産しそうな中小企業や派遣会社にしか就職できなかったことは自己責任である。
 
 社会学的に観察を進めると、自己の現在の社会的地位が、一定の社会における自己の選択・行為の当然の結果であるとわかるものである。


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by merca | 2010-05-29 23:27 | 社会分析
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