反貧困思想の教典 「椅子とりゲーム」のトリックを暴く

 社会に貧困の原因や責任があるという反貧困思想の原理的本質は、椅子とりゲームという理論的物語にある。反貧困思想にとって、このモデルは、社会契約思想の原初状態の物語に匹敵する理論的仮定である。
 椅子とりゲームとは、要するに、椅子の数がゲーム参加者の数よりも少ないために必ず椅子に座れない脱落者が出るという仕組みをもつシステムである。敗者こそが貧困者となるわけである。
 重要な点は、反貧困思想では、敗者に敗因があるのではなく、椅子の数に原因があると考える点である。椅子の数は社会の喩え、ゲームでの敗者は貧困者の喩えであり、椅子の数が少ない社会が悪いと考えるわけである。必ず敗者=貧困者が出るという社会の仕組みこそが貧困の原因であり、従って社会を変革する必要があると考えるわけなのである。
 
 ところが、果たして椅子の数に敗者の敗因はあるのであろうか? 敗者がでるのは、椅子の数に原因があるのではなく、参加者の数に原因があると考えることもできるのである。参加者が椅子の数よりも多いことが原因であり、椅子の数には原因はないとも考えられるのである。つまり、一方的に椅子の数=社会が悪いと決めつけることはできず、ゲームの参会者側に原因があるとも言えるわけである。椅子の数は限られているのに、それを見極めず、闇雲に座ろうとする参加者の方に原因があるのではないか?
 
 例えば、宝くじが当たらないのは、宝くじのシステムの責任であるといい、宝くじの主催者を訴える人間はいるだろうか? 宝くじが当たらず、はずれて損した責任は、宝くじを自由意思で買った本人の責任である。それと同じであり、椅子取りゲームに参加して敗者になったのは、敗者がゲームに参加した自己責任なのであり、決して椅子の数に原因があるわけではない。
 競争倍率を考えずに、ゲームへの参加を選択する個人責任なのである。コンテストの脱落者、受験の失敗、これらは本人に原因があると見なすのが普通の考えであり、落ちたからといって、コンテスト主催者や大学を訴える人はいないのである。椅子とりゲームもこれと全く同じなのに、反貧困思想のトリックに騙され、貧困は社会が悪いと思わされているのである。
  それでも社会が悪いと言えるためには、富が人々に平等分配されるべきあると国家社会が約束した時のみである。全ての参加者が椅子に座れるようにしますと約束したときのみである。つまり、完全平等主義の社会が正しいと人々が合意したときのみである。反貧困思想の椅子とりゲームのモデルを見て、社会を変えるべきだと思ってしまう人は、自身が完全平等主義が正しいという前提を所有しているだけなのである。
 繰り返して言うと、反貧困思想の椅子取りゲームのモデルでもって社会が悪いと主張できるのは、平等主義が正しい場合のみであり、そうでない場合は全く正当化できないのである。
 要するに、反貧困思想の本質は、単なる結果の平等主義のイデオロギーである。これが結論である。従って、平等主義に賛成しない人たちを説得できないのである。
 
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by merca | 2010-06-05 10:10 | 社会分析 | Comments(0)
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