社会学玄論講義 相対化作法の類型3

 社会学玄論講義 相対化作法の類型3

(脱構築)
 デリダの脱構築も相対化作法の一つである。西洋形而上学は、善と悪、本質と現象、絶対と相対、客観と主観、真理と虚偽など、様々な二項対立図式から構成されている。しかも、善は悪よりも、本質は現象よりも、絶対は相対よりも、客観は主観よりも、真理は虚偽よりも、根源的で価値があると考えられてきた。形式化していうと、片方の項がもう片方の項よりも存在論的にも価値論的にも優位であると考えられてきた。このような二項対立図式を内部から解体する方法が脱構築と呼ばれる。脱構築によって二項の序列関係が逆転化されてしまうことになるのである。

 脱構築を使用すると、次のようになる。本質から現象が生じたのではなく、個々の現象を観察することで本質たるイデアの観念がつくられた。悪が先にあり、悪を防止するために善がつくられた。主観が先にあり、複数の主観の合意点として客観がつくられた。相対的な考えに耐えることができず絶対的なものを必要とするようになった。虚偽による失敗を防ぐために真理が述べられるようになった。つまり、このように優位と思われた項は、実は、劣位の項を条件として発生したものであることがわかる。そうなると、優位の項が劣位の項を完全に否定・排除しては成立たなくなる。

 ニセ科学批判とは、科学と名乗る学説や商品などの対象を本物科学とニセ科学とに区別し、ニセ科学を否定し、本物科学を肯定する思想である。脱構築をニセ科学批判に適用すると、こうなる。
 (本物科学/ニセ科学)のうち、本物科学のほうが先に存在し優位であると思われているが、実はニセ科学が存在するからこそ、科学主義たるニセ科学批判が発生したということになる。ニセ科学批判の成立条件は、ニセ科学の存在であり、ニセ科学を完全否定してはニセ科学批判は成立たなくなることになる。本物科学は、ニセ科学との差異によって根拠付けられることになり、ニセ科学を必要とすることになってしまう。脱構築の発想からすると、偽物の出現によって、はじめて本物も存在し、偽物と本物の区別はつくられるのである。先に本物が存在するのではなく、ある対象に偽物のレッテルを貼ることで、事後的に本物がつくられるのである。
 かくして、ニセ科学批判が準拠する二項対立図式である(本物/偽物)という区別の価値序列は解体され、破壊される。つまり、脱構築されることになる。
 脱構築は、二項対立図式の両項の序列関係を逆転させ、図式そのものを解体する相対化なのである。脱構築は解体のみに終わる単純な相対化ではなく、実は隠された視点=第三項を暴露することになる。そもそも、二項を区別する基準そのもの=第三項を露にして見せることになるからである。
 実は、科学は、自らが本物だと言うために他説に偽物のレッテルを貼ることでしか、自らのアイデンティティ=自己同一性を保つことができないほど、曖昧なものだということを露呈しているのである。何が科学かという論争はずっと結論が出ていないわけであり、科学観の曖昧性に耐えきれない脆弱な者たちが、他説に偽物のレッテルを張り、かろうじて自己満足しているのである。ニセ科学批判者にとっては、科学の自己同一性はニセ科学批判を通して事後的に構成されるのである。
                               続く

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by merca | 2010-09-12 23:19 | Comments(0)
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