カルト信者をつくらない処方箋としての相対主義

 ニセ科学批判者やその系列のブロガーたちは、カルトだから悪いという発想をよくとっている。カルトというレッテルを貼ることで相手を貶めるわけであるが、カルトとは何を指すのか明確にしておいた方が良さそうである。(カルト/カルトでない)という区別がどのような基準によって構成されているのか確認しておきたい。
 カルトは、もともと崇拝・礼拝というラテン語から発生したものであるが、現代的な意味においては、カルト宗教だとかカルト団体だとかいう具合に使用されている。その意味するところは、下記のごとくだと思われる。

 主にある一定の思想や信条を共有する組織を指す。(多くは宗教団体)
 既存の社会的価値から逸脱しており、反社会的である。
 教祖を絶対的に崇拝する。
 教義を絶対的真理とし、他を排除する。
 批判するものに対して極度に攻撃的である。
 強引に勧誘する。
 目的のために手段を選ばない。
 離脱の際に暴力や恐怖心がともなう。

などである。
 これらの性質が認められる宗教や集団をカルトと呼ぶことができる。これは社会学的に言うと、全体主義と性質が同じである。カルト宗教やカルト集団は、社会レベルではなく、集団レベルの全体主義である。過激な共産主義集団はカルト集団と同一の特性を持つことがわかる。カルト集団では、集団構成員の自己選択性=人間性が否定され、集団内部に制裁による虐待暴力が生ずることもよくある。

 ニセ科学批判がカルト化していると言われる際には、ネット社会に限定してのことであり、教祖を崇拝するという点、強引に勧誘(説得)するという点、自己の教義を絶対的真理とし、他を排除する点、批判するものに対して極度に攻撃的である点にあると思われる。
 ネット上のことであるが、ニセ科学批判にまつわる記事を書くと多くの信者さんが私を説得に来たことを記憶している。強引な他説攻撃による説得行為こそがニセ科学批判をカルト化する主な要因となっている。水伝やホメオパシーがカルトかどうかは、信者獲得のための強引な説得行為があるかどうかに関わっている。カルトとは、教義内容ではなく、組織運営形態や布教方法の問題なのである。例えば、既存の仏教やキリスト教は、その教義内容は反科学的であるにもかかわらず、強引に布教しないことで、社会からカルトと見なされない。
 つまり、カルトであるかカルトでないかは、教義内容や思想内容ではなく、組織運営形態と布教コミュニケーションの方法によるのである。(カルト/カルトでない)という区別は、(内容/方法)という区別に準拠しており、方法の項の出来事であることがわかる。組織体システムとそのコミュニケーションが全体主義化していることがカルトの社会学的本質である。反科学的であることがそのままカルトではない。ニセ科学批判者は、反科学的なものに対して闇雲に全てカルトであるというレッテルを貼り、価値を貶める傾向にあるので要注意である。反科学=カルトという図式を安易に使用しているブロガーがいるので、ここで釘を刺しておこう。

 社会学的には、カルト化の処方箋は、ニセ科学批判者が嫌う相対主義である。絶対的なものはなにもないという相対性感覚を保ち続けることがカルトにはまらないための予防線となる。教祖や教義を絶対化しているカルト集団には、相対主義者は入らないのである。みなが強い相対主義者であれば、カルト集団に入ることはありえず、カルト集団は信者を獲得できないのである。カルト信者から私たちの教義は絶対的に正しいから信じなさいと言われても、相対主義者は正しい思想が一つしかないというのはおかしいと思い、入らないのである。カルトに対する最大の処方箋は、原理主義的相対主義者になることである。
 
 ニセ科学批判者はニセ科学をカルトとして批判しているのに、ビリーバーをつくらない最大の処方箋である相対主義を嫌うという自己矛盾を起こしているのである。カルトを滅ぼすのは、ニセ科学批判ではなく、相対主義なのである。相対主義を批判するニセ科学批判者たちは、真理は一つであるという固定観念を人々に植え付け、その結果、真理は一つを求めるカルト信者を増やすことに寄与してしまうのである。事実としての真理は一つという自然科学の観念を持つ故にオウム真理教にはまった理系の若者たちがいた事実を自覚して欲しいのである。事実=真理は一つという固定観念でもって、ニセ科学が科学的に間違いであると批判することは、諸刃の剣である。そうなると、意識構造が変わらぬまま、ニセ科学ビリーバーはそのままニセ科学批判ビリーバーとなるのである。相対主義によって意識構造が変わらないと、真理は一つという固定観念を持つカルト信者は本質的に変わらないのである。

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by merca | 2010-10-11 22:46 | ニセ科学批判批判
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