ベーシックインカムによる社会革命に備えるべし!!

 全ての国民に対して、最低生活を維持するための所得を給付する制度をベーシックインカムという。基礎所得保証ともいう。この制度の導入に肯定的な政治家も多くいることから、夢ではない話らしい。
 重要な点は、これによって、働かなくても食べていけることも可能となることである。そうなると、ひきこもり、ニート、ヤンキー、ホームレスなどは、大手を振って喜ぶであろう。ひきこもりは、組織労働に付随する対人関係の煩しさから解放されることになるし、またニートやヤンキーは働かず怠けて遊んで暮らせることになるのである。ホームレスにとっては、椅子取りゲームたる社会の競争に参加せずに毎日のんびりと暮らせることになる。皮肉なことに、社会的自立を支援する、ひきこもり支援団体やホームレス支援団体の苦労が水の泡になるのである。
 また、共産主義を唱える意味がなくなる。マルクスが前提とした資本主義社会は消滅することになるからである。ベーシックインカムは、共産主義の存在価値を全否定することになる。全ての人民が労働し、その生産物を共有財産として平等に分配する共産主義の理念からすると、正当な理由がなく働かずに食べていく人間を認めることは原理上できないのである。共産主義では、生産物は全ての人間に平等にあてがわれることになり、そのかわり勤労の義務も平等に生ずるのである。正当な理由なく労働をしない人間という例外は認められないわけである。だから、左翼系や共産主義者でベーシックインカムを否定する者も多い。
 反対に、勤労道徳を美徳とする右翼も精神主義的観点からベーシックインカムを否定するであろう。道徳的な理由から、怠け者は許せないのである。
要するに、左翼も右翼も働かずに食べる人間がいることに耐えられない人種なのである。

 誰かが労働することなしに、社会は成立たないのは事実である。ベーシックインカムは、全ての国民が働かないという選択をした場合には破綻する制度である。もっと厳密に言うと、一定多数の国民が働くことがないと、破綻する制度である。逆にいうと、ベーシックインカムは人間は労働を好む存在であるという人間観に基づいている。
これは社会心理学者マクレガーのXY理論におけるY理論に基づく人間観である。X理論とは、人間は怠け者であり、賞罰がないと働かないという根本仮説である。Y理論とは、人間は自己実現のために進んで働く存在であるという根本仮説である。マクレガーは、マズローの欲求段階説に準拠し、低次の欲求(衣食住)が満たされると高次の欲求を満たすようになると考え、Y理論を支持した。ベーシックインカムが破綻しないためには、Y理論とマズローの欲求段階説が人間科学的に正しいことが前提となる。
 確かに、食べていける財産はあるのに、働く人たちが多くいることも事実である。地域社会においては、自らの生計とは関係なく、自治会長、民生委員、保護司など、公務員がすべき労働をやっている人たちがいる。また、ボランティアをしている学生や主婦なども多くいる。食べていくことと関係のない活動で社会を支えることをしている人たちがいるのである。また、一生食べていける資金がある企業家が、食べていけるから働かなくなることはほとんどない。大企業家は、食べていける財産があるのに、資本の論理によって、よく働くのである。得たお金をまた投資し、資本を増やすために働くのである。
 確かに、こういう人たちはY理論が当てはまるかもしれないが、まだ人口のごく一部である。ヤンキー、ひきこもり、ニート、ホームレスは、X理論かY理論のどちらで生きているのか調査する必要があるのである。ベーシックインカムで一番怖いのは、食べるお金を得るためだけに働いているヤンキーが肉体労働をしなくなり、人手不足で建築業界などが打撃を受けることである。社会分業が破綻することが懸念される。自分の好まない労働につくことを拒否できる社会になるのである。
 また、上意下達による組織労働が破綻するおそれがある。食いはぐれがないから、上司の命令に従わない会社員が増え、会社の経営が成立たなくなるのである。さらに、押し進めると、「いい学校 いい会社 いい人生」という文化的目標も完全否定され、受験競争の脅しから子供たちは解放されるだろう。人生のレールからはずれたら食べていけなくなるという脅迫観念で悩む必要がなくなるのである。教育システムが根底から破壊され、ゆとり教育が復活するのである。
 ベーシックインカムの導入は、根底から社会を変革することになり、その影響力は計り知れないのである。経済、法律、教育、政治、福祉、道徳、宗教など、全ての社会分野に影響をもたらすのである。社会システム論的には、これは、共産主義革命をも凌ぐ、左翼と右翼を消滅させる社会革命である。その影響を全体的に計測することのできる科学力は、経済学ではなく、近代化理論を対象とする理論社会学にしかないのである。ベーシックインカムの導入に際しては、デュルケームの社会分業論、パーソンズとルーマンの社会システム論、ブルデューのハヴィトゥス論など、全ての社会学理論を統合した大理論が求められるであろう。大理論社会学の復権が望まれるのである。

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by merca | 2011-01-15 10:50 | 理論 | Comments(14)
Commented by at 2011-01-15 17:48 x
ギリシャ哲学を根幹に、現代の学は枝葉末節に多様化しましたが、社会機能とて同じでしょう。この様な多様性の時代において、ある政策が絶対的な功を奏するという事は事実上ありえないと思います。その一番分かり易い例が沖縄におけるアメリカ基地問題でしょう。アメリカ基地を他に移設すれば、そこの沖縄住民は幸福になるかもしれませんが、あの一帯の国際情勢は常に不安定なもので、基地移設が必ずしも全体的な観点からすれば「よいこと」だとはいえません。よくなっている積もりが他ではかえって悪くなるという、いわば「全体の観点からすれば何も良くならない」のが大抵の今の政治的実情だからです。(泥沼に足をとられるが如く)
Commented by at 2011-01-15 18:03 x
特に今日の様に国際化と社会的多様化の起こったり、様々な利害関係が無数に交錯してしまった世においてはこれはなおの事です、ベルグソンは「偉大な芸術家や学者はこれからも途切れる事なく出現するが、偉大な政治家はもう生まれてこないだろう」といっていますが、まあその指摘も社会の多様性に伴って政治家が取り扱わなければならなくなった社会的利害関係の増大とも密接な関係にあるのでしょう。利害関係のもっと単純だった昔からともなく、現代においてはいかなる政治的手腕も社会改革論も、社会の多様性の前にはもろくも砕け散るしかないのだと思います。
Commented by merca at 2011-01-16 09:07
宏さん 論宅です。
 おっしゃるとおり、ルーマンの近代化論では、後期近代化社会つまり成熟社会は、機能分化した社会ですので、様々な社会的領域が分出化し、それぞれが他に還元できない自律性=閉鎖性をもちます。それと並行して人々の価値観も多様化します。これを社会分業の水平的分化と言います。価値次元相対主義として、私はこれを成熟社会の価値論としてブロクでも定式化しました。
 経済、法律、教育、政治、福祉、道徳、宗教など、全ての社会的領域が対等の価値と機能を持ち、どれか一つが優位でないことをしめします。ヨーロッパ社会では、この対等性がある程度実現しています。
 この理論からすると、一つの分野の変革、例えば経済政策の変革が他の分野の社会的領域への影響はそんなに大きくないと考えられます。
Commented by merca at 2011-01-16 09:40
ベーシックインカムの怖いところは、まずこの社会政策は経済政策だけではなく、福祉政策と雇用政策でもあることです。つまり、単なる経済システムにおける政策ではなく、経済システム、福祉システム、雇用システムなどの複数の分野を含む政策だからです。このように複数のシステムを同時に変革すると、社会的影響力はかなり大きいと思えます。
 さらに、これは後発的近代化論に属しますが、日本社会の社会分業構造は、垂直的です。経済の近代化から始まったので、経済システムが優位な社会です。簡単に言えば、企業社会の在り方が雇用システムに作用し、教育システムに影響を与えます。受験競争は、企業が高学歴の若者を採用するという企業の姿勢によって出来上がった教育システムです。エコノミックアニマルと日本人は言われてきました。日本は成熟社会だと思いますかが、まだまだ仕事優先主義が根強く、経済的価値が優先され、食べるために働く人が大半ではないでしょうか?
Commented by merca at 2011-01-16 09:40
経済的価値によって他の社会領域が規定される構造がまだ残っています。経済的領域での大変革は、他の領域に大きな変化をもたらす社会です。
 まだ、嫌な仕事でも辛抱して食べるために働く人たちが大半です。ベーシックインカムによって、食べるではなく、別の価値観から仕事=社会参加することになります。人々が社会に参加する動機が多様化すると考えられます。ベーシックインカムによって、食べるための労働が消滅し、全ての社会領域が対等に水平分化することを期待しています。ここに完全な成熟社会が誕生します。今でも多様な価値観が存在しますが、それが対等に同等の価値をもって並んでいるのではなく、多様な価値観に序列をつける中心的価値として経済的価値が君臨している状態だと思います。ベーシックインカムによって、社会分業システムが垂直的分化から水平的分化へと完全移行します。社会システム論的には、このことは画期的なことなんです。
Commented by merca at 2011-01-16 09:41
日本社会では、経済的価値によって他の社会領域が規定される構造がまだ残っています。
 ルーマンの社会進化論では、環節的分化、階層的分化、機能的分化という三段階で社会進化すると考えられていますが、私見によれば最後の機能的分化は、垂直的機能分化と水平的機能分化があり、私は水平的機能分化こそが社会進化の最終形態だと考えています。日本社会では、ベーシックインカムこそが水平的機能分化を可能にする政策だと考えています。社会構造の変革という意味では、やはり一つの社会革命だと思います。
Commented by at 2011-01-16 16:16 x
論宅さん有難う御座います。ベーシックインカムの今日的議論における本来的な意味が、水平的機能分化による社会システムの高度発展化であり、これこそが論宅さんが記事で言わんとしていた主旨である事が漸く判明しました。

論宅さんのいわんとしている事は、要するに(アナロジーから類推すれば)たとえば進化の過程の中で生命が心臓、肺、脳、骨格等、生命機能を司る各器官の機能分化現象を引き起こし、この事がより複雑で高度な生命システムを備えた「ヒト」にまで発展した事からも一致が見られます。要するにシステム(社会にしろ生命にしろコンピュータにしろ経済にしろ認知にしろ)が高度に発展するためには分化現象(水平的機能分化)は付き物だという事ですね。

Commented by merca at 2011-01-17 22:25
宏さん こんばんは 論宅です。
 社会学的観点からのベーシックインカムについてご理解いただいて嬉しいです。経済学的観点からの意味は多く語られていますが、社会システムの機能分化の観点からはほとんど語られていません。宮台氏もあまり語っていません。
 機能分化した各システムのうち全てが対等に自律性をもつということが成熟社会の理想ですが、それに反対する勢力があります。それがニセ科学批判者たちです。彼らは科学システムが他の全てのシステムをコントロールすると考え、宗教システムと科学システムの価値の平等性を認めません。宗教よりも科学が勝っていると考えています。科学的事実に反する要素を少しでも含んでいると、教育、宗教、政治、福祉などのどんな領域でも批判します。科学システムのみが他のシステムを支配する垂直的機能分化が理想のようです。これを科学化社会論者とでも呼びたいと思います。これが私がニセ科学批判者を批判する究極的理由です。
Commented by merca at 2011-01-17 22:40
 訂正 私のコメントCommented by merca at 2011-01-16 09:40に誤字や文章の乱れがあることに気づいたので、下記のように訂正します。
 ベーシックインカムの特徴は、経済政策だけではなく、福祉政策や雇用政策でもあることです。つまり、単なる経済システムにおける政策ではなく、経済システム、福祉システム、雇用システムなどの複数の分野を含む政策なのです。このように複数のシステムを同時に変革するわけですから、社会的影響力はかなり大きくなります。
さらに、これは後発的近代化論に属しますが、日本社会の社会分業構造は、垂直的です。経済の近代化から始まったので、経済システムが優位な社会です。簡単に言えば、企業社会の在り方が雇用システムに作用し、教育システムに影響を与えます。受験競争は、企業が高学歴の若者を採用するという企業の姿勢によって出来上がった教育システムです。エコノミックアニマルと日本人は言われてきました。日本は成熟社会だと思いますが、まだまだ仕事優先主義が根強く、経済的価値が優先され、食べるために働く人が大半ではないでしょうか?



Commented by at 2011-01-20 17:53 x
論宅さんどうも。さて、「この世のあらゆる現象は科学で証明できるはずだ!」とは科学者がその仕事をはじめるにあたって最初に唱える合言葉であり、仕事の前提となっている仮定の部分です。が、仮定はあくまで仮定であって、事の真相は科学者本人にも皆目検討もつかない。ではなぜそんな皆目検討もつかない前提を便宜的に欲するかというと、そうした方が仕事がはかどるからです。科学者は常にまず何かを「仮定」します。「この世のあらゆる現象は科学で証明できるはずだ!」と仮定してかからない事には、仕事は一歩も前には進まないというのが、科学的知性の実情だからです。実験にしろ、考察にしろ、です。

ニセ科学批判者がこの仮定を(語りえない事については沈黙しろ、と言われるように)あくまで仮定の領域にとどめず、事実として取り違え誤認し、半ばニセ科学批判者特有の方便として一切を解決できるマスターキーの様に乱用している限りおいて、ニセ科学批判者の知性はその程度のものでしかありえません。従って彼のいう批判が批判になっていない批判であることは確かだと思います。

Commented by noga at 2011-01-28 17:44 x
日本語脳においては、現実と非現実を異なる時制を使って表現することができない。
現実を現在時制の内容として表し、願望を未来時制の内容として表すことができれば、それぞれの内容は別世界の内容となり、混乱することはない。混乱しなけれぱ゛キリスト教のような宗教になり、混乱すれば原理主義となる。

だがしかし、我が国では、一つの事態の肯定と否定は、同じ世界のこととして言い表される。
人々は、無為無策でいながら現実が願望へと突然変化 (反転) することをひたすら願うものである。
言霊の効果の出現を望んでやまない。
必勝を心の底から祈願すれば、悲惨な玉砕もあっぱれな勝ち戦に見えてくる。
実現不可能な欲望の思い込みが強すぎて、現実直視は困難になる。
これが、日本人の精神主義の本質である。
日本人は、祈願を他力本願・神頼みとしておおっぴらに認め合っている。
問題解決の能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
この閉塞状態が日本人の知的進歩の限界となっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

Commented by 低学歴ほど外国で暮らしたことがない at 2015-01-16 12:01 x
歯並び悪い低学歴は笑うな不気味

大企業に入れない奴隷階級は介護でもしてろ

在日ですか?



反ベーシックインカム
Commented by 低学歴ほど外国で暮らしたことがない at 2015-01-19 11:57 x
歯並び悪い低学歴は笑うな不気味

大企業に入れない奴隷階級は介護でもしてろ

在日ですか?

反ベーシックインカム
Commented by 低学歴ほど外国で暮らしたことがない at 2015-04-01 12:01 x
歯並び悪い低学歴は笑うな不気味

大企業に入れない奴隷階級は介護でもしてろ

在日ですか?


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