価値次元相対主義によるニセ科学批判批判

 現代社会は、様々な社会的領域に機能分化している。法律、経済、教育、政治、科学、宗教、福祉、医療、軍事、雇用、芸術、スポーツなどである。各社会領域は、独自の価値をもっており、他の社会的領域の価値に還元されず、対等であることが、成熟社会の完成体である。
 例えば、法システムは、経済システムからは完全に支配されず、経済システムも法システムに完全に支配されないわけである。
 私は、このような機能分化した社会的領域における価値が全て対等であるという考えをもっており、それを価値次元相対主義と呼んでいる。しかし、日本社会の近代化が経済中心に始まったために、経済的価値が他の社会的領域を制御するという構造が残っており、緩やかな価値序列がまだ存在しており、完全に水平的な機能分化を達成できていないことを指摘した。さらに、私は、ベーシックインカムこそが、雇用と経済を分離し、経済的価値を相対化し、水平的機能分化を可能にする社会政策的な処方箋であると考えた。

 それはさておき、このような価値次元相対主義に逆行する思想が存在する。それがニセ科学批判である。というのは、ニセ科学批判は、科学的事実に反する要素が少しでも含まれていると、科学以外の社会的領域であっても、平気で全否定するからである。ニセ科学批判においては、真偽のコードに準拠する科学システムが他のシステムに対して領域侵犯し、制御・支配することになる。科学的事実を最上位の価値とし、経済、法律、教育、宗教など他のシステムよりも優位なものと見なしているのである。

・教育の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反する教育として水伝道徳授業を批判する。
 教育は科学に還元されない価値や目的をもっており、科学的事実に反することであっても、教育的価値があればよい。教育の目的は、社会に適応する人間をつくることであり、その目的に適合的であれば、科学的事実に反していても問題がない。例えば、西洋社会では、キリスト教に基づく道徳教育を行って来た。神という科学的事実に反する存在を前提にして、道徳を内面化させ、社会に適応する人間をつくってきた。科学的事実に反する教育であるが、教育の目的は達しているのである。
 個人的には水伝道徳授業に問題はないと言いたくはないが、科学的事実に反することは教育としての水伝授業の本質的批判にはならない。なのに、科学的事実に反することを根拠に教育批判している。
・宗教の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反するとしてスピリチュアル批判を行っている。
 宗教は科学に還元されない価値や目的をもっており、科学的事実に反することであっても、宗教的価値があればよい。宗教の目的は、世界の根源的偶然性に意味付与することであり、科学的事実に反していても問題はない。神や輪廻転生は科学的事実に反するが、宗教的価値はある。なのに、ニセ科学批判者は神や輪廻転生を批判しようとする。
・医療の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反するとしてホメオパシー批判を行っている。
 医療は、科学に還元されない価値や目的をもっており、科学はその手段にしかすぎない。医療は病気を治すことが目的であり、科学的事実に反していても、病気が治るのなら、医療的価値があることになる。漢方薬や針などの東洋医学は科学的に実証されていないが、現実にある程度病気が治るから使用しているわけである。ホメオパシーも科学的効果ではなく、偽薬効果による自然治癒でたまに病気が治ることがあるから使用している人がいるのだと思う。
・経済の分野に関しては、ニセ科学批判者が科学的事実に反するとしてマイナスイオン商品の批判を行っている。
 経済=商品は、科学に還元されない価値や目的をもっており、経済的価値があればよい。マイナスイオンは科学的に実証されていないというが、とにかく商品が売れれば企業にとっては経済的価値があるのである。ウソであっても、売れれば企業にとっては経済的価値はある。科学的事実がどうであれ、商品が売れて市場が活性化すれば、経済的に価値があることになる。
・雇用の分野に関しては、ニセ科学批判者は科学的事実に反するとして血液型性格判断を行う。
 雇用の目的は、科学とは関係ない。組織に貢献してくれる人材を雇うことが雇用システムの目的である。科学的に実証されていない血液型性格判断を利用して、企業が人材を雇用しても、問題はない。何を採用選定基準とするかは、企業の好みであり、自由である。血液型性格判断を基準にして雇用して、うまくいかなかったら、企業の自己責任である。企業の雇用システムに科学が口出しする権利はない。

 このように、ニセ科学批判は、科学以外の他の社会的領域の思想や商品に科学的事実に反する要素が含まれている場合、全否定するのである。他の社会的領域の価値判断よりも科学による価値判断が優先される仕組みになっているのである。ニセ科学批判においては、科学は他の社会的領域の監督者として特別な価値が認められているのである。反科学的であっても、その社会的領域における目的が十分に遂行できるのであれば、科学は口出しする権利はないのである。
 科学的価値による社会領域の支配こそが、ニセ科学批判という社会現象の本質であり、これは同時に社会病理でもある。
 価値次元相対主義に基づくと、科学的価値も他の社会領域の価値も同等であり、争うことなく、平和に相対化されるべきなのである。科学的事実を絶対化する価値次元絶対主義こそがニセ科学批判の本質であり、他の社会的領域を支配しようとしているわけである。他者に対してニセ科学批判者が押し付けや指図をすることが多いわけは、科学的価値を絶対化・中心化しているからなのである。ニセ科学批判が流行ると、科学者が社会の中心に君臨する社会、つまり科学主義化社会になってしまうのである。

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by merca | 2011-01-20 00:38 | ニセ科学批判批判
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