反社会学講座の正体は、社会学に対する藁人形論法。

 多くの知的な若者たちが反社会学講座に騙されている。ここで、私が警告を鳴らしておく必要があると感じ、当エントリーを書いている。
 「スタンダート 反社会学講座」 http://pmazzarino.web.fc2.com/index.html#mokuji
 見てのとおり、パオロ・マッツァリーノ氏の反社会学講座には、全く社会学理論が使用されておらず、社会学の手法や論理とは無縁である。社会学とは、社会学理論という観察道具を通して社会現象を記述することで成立つ学問である。多くの社会学者は、デュルケーム、ウェーバー、ジンメル、パーソンズ、ルーマン、ハーバーマス、ミード、ブルデュー、ゴフマンなどの社会学理論を現象に適用して観察し、記述してきた。従って、これらの社会学者たちが作り出した社会学理論の伝統の上に、社会学は成立っているわけである。
 例えば、宮台氏の著作は一般向けであって比較的分りやすくて人気があるが、あらゆるところに様々な社会学者や社会学理論による解釈がある。
 パオロ・マッツァリーノ氏の著作には、ほとんどこれらの社会学者の名も出てこず、社会学理論の適用が認められない。単なる統計や史実による記述等が大半を占めている。社会学理論という観察道具を用いない記述は、居酒屋談義と同じであり、社会学ではない。
 従って、パオロ・マッツァリーノ氏が社会学の手法や論理を使用していると豪語しているのは全くのデタラメである。そして、この嘘にはめられている読者は可哀想である。
 
 バオロ君、悔しかったら社会学理論を用いて社会現象を観察してみたまえ!!
 準拠集団論、行為の四類型、社会圏の交差、他者一般、システムによる生活世界の植民地化、顕在的機能と潜在的機能、ゲマインシャフトとゲゼルシャフト、複雑性の縮減、近代化の後発的発展理論、コミュニケーション的理性、役割距離、ハビトゥス論など、これらの社会学理論を駆使して社会現象を観察し、記述してみなさい。(ご存知のとおり、私のブログではルーマンやブルデューや宮台の社会理論を多用している。例えば、私の理論的核心である価値次元相対主義はルーマンの機能分化論に基礎をおく。)

 私のライバルであるニセ科学批判者たちの御得意の論理を拝借させていただくと、バオロ氏の反社会学講座の正体は、社会学に対する藁人形論法である。つまり、社会学者の虚像として自分勝手に藁人形をつくりだし、その虚像である藁人形に対して批判をしているのである。パオロ氏の反社会学講座は、社会学理論による観察を得た記述がない全くのニセ社会学なのである。

 ルーマンやブルデューやギデンズとまではいかなくとも、少なくともデュルケームやウェーバーやジンメルなどの基礎的・古典的社会理論を学んだ社会学の徒なら、パオロ氏の嘘とトリックがわかるはずである。
 もし社会学部の学生でパオロ氏の読者コントロールに騙されている者がいるのなら、今すぐに、反社会学講座を捨て、デュルケームの「自殺論」やウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などの社会学の古典的名著を読むべし。反社会学講座による洗脳から解けると思う。

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by merca | 2011-02-12 23:33 | 理論 | Comments(20)
Commented by どなどな at 2014-02-15 15:39 x
技術評論社刊のパオロさんの「怒る!日本文化論」の著者紹介には胡散臭い公式プロフィールが紹介され、イタリア生まれの戯作家とあります。中身を読んで私もそうだろうなと思いました。鋭敏な社会学者でもなんでもない。読む価値があるかどうかは個個人の問題。
問題にされているのは「社会学」それも昔懐かしい「社会学講座」といった類いの言葉の使い方ではないですか。ご本人だか営業サイドの方が気に入ってると言うことではないでしょうか。それすら許せんということなのでしょうね。
怒れ!真の社会学者ならベストセラーの社会学講座を書け!ですね。
Commented by 123 at 2014-04-10 16:09 x
藁人形と同じ構図がゲゼルシャフトとゲマインシャフトという認識はあるのか?
社会学者お得意の閉じた共同体という幻想は、まさしくオリエンタリズムである。
Commented by 通りすがり at 2014-07-14 08:31 x
パオロ・マッツァリーノ氏は「社会学で用いられる多くの理論は、本来具体的であるはずの個々の事象を一般化させようとするあまり、過分に抽象的なものになっているため、社会学者はそれらの理論を恣意的に使用できてしまう問題」にも自覚的でしょう。
こちらの記事はその問題に反論できていない様に思います。
宮台氏の名前が出ているのでそちらにも言及すると、
宮台氏は統計データを使用せずに社会学理論で納得させるだけの話術
をご自身がお持ちである事に自覚的であり、その「啓蒙」の為に社会学理論を利用していると考えています。
社会学的(なるものを利用して説得力を持たせる)思想家としての宮台氏の力量は凄いですが、パオロ氏が考える正当な社会学者(現在の社会状況を客観的数値を使用し正確に捉えようとする人々)にはそもそも当てはまらないと考えます。
Commented by aspl21 at 2014-08-20 09:22 x
バオロ氏に興味ある者ですが勉強になりました。社会学の分析手法をきちんと学びたいと思います。
Commented by 社会学に無知な理系草食通りがけ at 2014-09-20 01:52 x
パオロ氏の本は、一般の人向けに丁寧な言葉と論法で書いていると思う。だから読みやすい(灰汁が強く感じるときもあるけれど)。
こちらでは、専門用語が多発されていて分かりにくい。理系で素人の私には読むのに苦労する(というか全ては読みきれない)。
内容は「パオロ氏の論法は、社会学の手法じゃない」って言ってるようだけど、パオロ氏は『社会学の手法』こそ批判対象にしていた気がする。
なにかちぐはぐに感じる。
願わくはこちらでは、『社会学の手法』の魅力を、素人にも分かりやすく語ってもらえるとありがたい。
確かパオロ氏自身社会学者とは言ってないよ(素人かもよ)と書いていたのを思い出す・・・。
Commented by 2011年の投稿にコメントする阿呆 at 2014-10-24 18:50 x
準拠集団論、行為の四類型、社会圏の交差、他者一般、システムによる生活世界の植民地化、顕在的機能と潜在的機能、ゲマインシャフトとゲゼルシャフト、複雑性の縮減、近代化の後発的発展理論、コミュニケーション的理性、役割距離、ハビトゥス論
???????????????????
そんな言葉を使わないと社会を観察できないのかな????????????
アルファがベータをカッパらったらイプシロンするっていうのと同じくらいワケわからんちんちんびろーん
Commented by あぱー at 2014-10-24 22:26 x
勉強したらどうね。よかとね。どこの大学かね。
Commented by 通りすがり at 2014-11-24 12:43 x
以前コメントさせて頂きました。
"玄"論を名乗るなら反論には意見して頂けると双方の思索の発展に繋がると思います。
が、あなたのブログなので自由ですけども。
この記事にやたらコメントがついているのは【反社会学講座】で1ページ目にこの記事がきてるからですね。

さて、以前にコメントしてから4ヶ月が経ち、その間に貴方と似た論理展開の方とお話しさせて頂く機会が何度かありました。
その際に私は「この人たちは分析対象ではなく理論自体に恋してしまってるんだな」と感じました。
社会学全般の話題なので多岐に及ぶ議論がありましたが、
殆どに於いてまず始めに出てくるのは過去の社会学理論と社会学者の名前です。
統計が上がる事はあってもご自身のフィールドワークは皆無でした。
私はこの人達に新たな社会学理論(もしくは過去の理論のブラッシュアップ)が構築出来るのか甚だ疑問です。
社会学は研究対象が常に複雑系としての発展を見せるため、
経過によって変容しない社会学理論によって研究対象を永遠に包括し分析し続ける事は不可能です。
※物理学を始めとした多くの理系学問(金融工学含)ですら現在は複雑系への対処が不可欠です。

他の記事を拝見しても貴方は社会自体を始めにみるのではなくまず社会学理論を見ていると感じます。
社会学者ならば研究対象の統計、フィールドワークを基にした上で初めて理論が出て来るべきですし、その際に研究対象が外部からどの程度影響を受けるか、また過去の理論構築時の環境と何が異なるかを明確にした上で、理論の例外にこそ目を向けます。なぜなら例外こそが新しい理論の礎となるからです。
残念ながら記事を拝見してそのような具体事例は見られませんでした。
メタ社会学(社会学を社会学する)を標榜されるのでしたら、社会学理論の例外を社会学する事でより理論が昇華すると思います。
その点、貴方は社会学理論を利用して文学をやっていると感じます。
それこそ反社会学講座で反論されていた社会学者そのものではないでしょうか。
Commented by merca at 2014-11-25 21:16
 社会学理論そのものが一つの社会現象ですので、社会学理論について述べることは、社会について観察していることになります。
 それが、社会学の社会学です。従って、私が社会学者やその社会学理論について分析することは、社会学として何ら矛盾はありません。社会学も社会現象であるという考えは、社会学の基本です。
 しかし、物理学そのものは物理現象ではなく、学問ですので、物理学の対象になりませんが、科学システムとして社会学の対象にはなり得ます。
 さらにいうのなら、物理学という自然科学を科学の最高模範とし、中途半端な科学を疑似科学と見なすニセ科学批判は、物理学の対象ではなく、社会学の対象となります。ニセ科学批判を社会病理現象として観察・記述することは、私のフィールド=専門領域です。菊池誠、伊勢田氏、戸田山氏、池内氏、なとろむ氏等が私の社会学の分析対象になります。実に具体的です。
Commented by merca at 2014-11-25 21:16
「具体的批判対象を提示できない反社会学講座は空虚である」
 http://mercamun.exblog.jp/15160576/

 パオロ・マッツァリーノの主張である社会学理論を恣意的に使用している社会学者が存在するという命題が、科学的に正しいためには、その具体的サンプルが必要です。パオロ・マッツァリーノは、一人も社会学者の実名をあげて具体例を示すことができないので、サンプルがなく、実証的根拠がないことになり、非科学的です。
 サンプルを示していないのに、自らの主張が科学的に正しいと読者に思い込ませ、あなたのような犠牲者がでるわけです。洗脳が解けることを祈ります。
Commented by マミー at 2014-12-12 22:46 x
 通りすがりの人、よく調べない非科学的な人ですね。
 論宅さんの切り返しに降参ですね。
Commented by マッツァオ at 2015-12-22 12:44 x
パオロ・マッツァリーノさんの正体を巡る噂でもないかとネット上をブラブラしているときに,こちらの記事に出会いました.時季遅れのコメントで失礼ですが・・・.

一瞬,マッツァリーノさんが,自説を補強するための冗談で書いた記事かと思いました.

「見てのとおり、パオロ・マッツァリーノ氏の反社会学講座には、全く社会学理論が使用されておらず、社会学の手法や論理とは無縁である。社会学とは、社会学理論という観察道具を通して社会現象を記述することで成立つ学問である。多くの社会学者は、デュルケーム、ウェーバー、ジンメル、パーソンズ、ルーマン、ハーバーマス、ミード、ブルデュー、ゴフマンなどの社会学理論を現象に適用して観察し、記述してきた。従って、これらの社会学者たちが作り出した社会学理論の伝統の上に、社会学は成立っているわけである。」という批判の仕方は,マッツァリーノさんが手を打って喜ぶような批判の仕方だと思ったのは私だけ?
Commented by merca at 2015-12-22 20:06
論宅です。
「具体的批判対象を提示できない反社会学講座は空虚である」
 http://mercamun.exblog.jp/15160576/
 パオロ・マッツァリーノ氏は、科学哲学について浅薄な知識しか持ち合わせていないために、単なるニセ科学批判者の論理でも完全に否定されてしまいます。
 私は、生粋のニセ科学批判批判者ですが、ニセ科学批判者の論理を借用させてもらうこともあります。痛快です。
 パオロ・マッツァリーノ氏の社会学に対する皮肉を真の意味で脱構築するためには、ある一つの隠された論理が必要となります。その論理は秘密です。
「反社会学講座」を検索すると、私の同講座に対する批判記事がかなり上位に出て来ます。間違って読んだら、あなたのようになるわけです。よいことです。
Commented by マッツァオ at 2015-12-23 10:46 x
こんな時季外れのコメントは放置かな,と思っていたら即座に回答を頂き,ありがとうございました.

1. 「その論理は秘密です」.つまり,その本来の意味においてのオカルトってことですか?

2. お示しいただいたページを拝見しました.

実例を出せない=研究者名が明示されていない

という理解でよろしいですか?

たとえば,自然現象を扱う議論で天動説を批判する場合,天動説を唱えた人物名を挙げなくても,実例(天動説の具体的内容)を示して批判することは可能です.いわゆる研究論文なら,実例の典拠としてその実例を主張している論文名を挙げるのが常識ではありますけど.しかし,社会的現象を扱う議論ではそれはできないという意味でしょうか?
Commented by merca at 2015-12-24 22:35
論宅です。
 理論内容の真偽の次元について私は述べています。天動説が正しいかどうかの判断は、天動説の具体的内容ではなく、観測の結果によります。
 同じく、パオロ・マッツァリーノ氏の言うような社会学者像が事実かどうか判断するためには、実際に当てはまる事例を明示してもらわないと根拠となりません。
 何を根拠として、あなたは、パオロ・マッツァリーノ氏の主張する社会学者像を受け入れているのでしょうか?
具体例=学者名とその理論名を出せないから、単なるデタラメなレッテルと同じであり、藁人形論法と言われても仕方がないということです。
Commented by マッツァオ at 2015-12-25 12:29 x
 重ねてお返事ありがとうございます.おかげで相違点が見えてきました.

 『反社会学講座』(筑摩文庫,2007を見ています)の第1章の位置づけの問題ですね.第1章をどう受け取るか.第1章こそ,本書の要とするなら,おっしゃる通りだと思います.しかし,私が面白かったのは第2章以降です.
 第1章は,まぁ,人寄せに,俗受けする口上を吹いてみた,くらいに受け取っています.私は,「パオロ・マッツァリーノ氏の主張する社会学者像を受け入れて」いません.保留です.第1章だけで終わっているなら,バラエティ番組におけるコメンテーターの放言と変わりありません.第1章が本書の要であるならば,ご批判に完全に同意します.
 しかし,第2章以降は,「真偽の次元」が変わっています.そして,本書が面白いのはこの第2章以降だと思いますが,いかがですか.
Commented by merca at 2015-12-27 08:38
論宅です。
 第2章以降については、パオロ・マッツァリーノ氏が抱く社会学者の方法をわざと使用して社会について語られているだけです。つまり、自己の都合のよいように恣意的に解釈し、社会を分析するという方法です。もし彼の社会分析を真実だと真に受ける読者がいたとしたら、無意識的にパオロ・マッツァリーノ氏の主張する社会学者像とその方法を肯定していることになります。
 どんな逆説的な主張も、自己の都合に合わせて統計資料と解釈を組み合わすことで人々を騙すことができるというトリックを実行しているわけです。真偽のコードで観察するのではなく、手品として観察することをお勧めします。彼の社会分析を真に受ける読者は怖いです。手品として真実らしい説をつくる「技法」に注目すべきでしょう。
 この技法を使えば、どんな説も正しいように見せかけることができるわけです。
 本当に社会学を目指す人には、社会学の古典を読み、科学哲学をきちんと学んでほしいです。
Commented by マッツァオ at 2015-12-27 14:45 x
お返事ありがとうございました.
よくわからない点がありましたので,改めてお尋ねします.

「第2章以降については、パオロ・マッツァリーノ氏が抱く社会学者の方法をわざと使用して社会について語られているだけです」とおっしゃっていますが,これはつまり,第2章以降で,マッツァリーノ氏が道化を演じて見せたということでしょうか.

第1章で批判した社会学者の方法を使用して,マッツァリーノ氏はわざと馬鹿な議論をして見せた.したがって,「もし彼の社会分析[第2章以降の議論]を真実だと真に受ける読者がいたとしたら、無意識的にパオロ・マッツァリーノ氏の主張する[つまり,第1章で批判した]社会学者像とその方法を肯定していることになります」([ ]内は引用者による補足)
ということでしょうか.

そうだとすれば,第2章以降を批判することは,マッツァリーノ氏の意にかなったことであり,第1章の社会学者批判を肯定することになりかねないように思いますが.

何か変な感じです.私がとんでもない思い違いをしているような気がしますので,よろしくお願いいたします.
Commented by 上の訂正 at 2015-12-27 14:52 x
すいません,文章がわかりにくくなりました.上のコメントの最後から2段目を次のように訂正します.

そうだとすれば,第2章以降を批判することは,マッツァリーノ氏の意にかなったことであり,第1章の社会学者の方法を批判すること,つまりマッツァリーノ氏による社会学者批判を肯定することになりかねないように思いますが.
Commented by マッツァオ at 2015-12-27 15:11 x
続けて失礼します.

実は,宅論さんのご主張は次のようなものかと思い始めていました.

1. マッツァリーノ氏は社会学をまともに学んでいない.

2. その結果,第1章の社会学・社会学者批判では,ありもしない社会学・社会学者をでっち上げて批判している.これは,藁人形を自分で作ってそれを批判しているようなものである.

3. また,第2章以降では,統計資料などに基づいた議論をしているが,その議論は,恣意的な出鱈目である.社会学の方法に学んでいれば,こんなことにはならなかったはずである.

4. そもそも,議論を始めるにあたっては,まず,先人の積み上げてきた学問的成果をきちんと摂取しなければならない.それが学問というものである.

ところが,先のコメントは,このような理解と衝突するように感じたので,重ねてお尋ねさせていただいた次第です.
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