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ギデンズの二重の解釈学という社会学的啓蒙

 ルーマンやブルデューと並ぶ現代社会学の巨人と言えば、英国の社会学者ギデンズである。ギデンズは、二重の解釈学、構造化理論、再帰的近代化、親密な関係など、多くの有意味な社会を観察する方法を提示し、日本の社会学者や大学院生に影響を与えている。
 ギデンズ社会学の核心は、二重の解釈学という考え方にある。これは、社会は対象と認識の一致という素朴な自然科学的な真理観では観察できないということを意味している。
 
 二重の解釈学によれば、出来事、行為、コミュニケーションなどの意味付けは、社会内で行為する当事者の共同主観的な意味付けと、社会学者が行う意味付けの二つのレベルが存在している。また、この二つのレベルは、相補的な関係にあり、当事者の主観的な行為が社会構造を創造・再生産するというのである。
 具体例を示そう。例えば、結婚するという行為は、結婚する当事者たちにとっては、恋愛を成就させて一緒に暮らしたいという目的で遂行されるわけであるが、社会システムから見れば、家族や社会階層の形成や将来の社会成員の再生産を意味していることになる。社会システムを維持するために結婚したという人はいないにもかかわらず、結婚によって未来の労働人口を確保し、結果として社会システムの構造を維持することにつながるのである。恋愛は結婚で成就する、あるいは結婚して家庭をつくることが人間の幸福という思想が共同主観として男女に内面化され、求婚活動を動機付けているのである。誰もわざわざ社会構造維持のために結婚して家庭をつくっていると思っておらず、好きな人と結婚して子供をつくりたいと思っているだけなのである。
 とにかく、社会内当事者たちが共同主観に基づいて主体的に行動すればするほど、社会の構造が再生産されるわけである。重要な点は、当事者の意味付けの内容と社会学者の意味付けの内容が一致してなくてもいいということである。時と場合によっては、内容が矛盾していても、かまわない。
 例えば、過去の全共闘運動においては、共産主義革命という意味付けの学園闘争をすればするほど、資本主義社会は成熟化していくという逆説的な結果が起こった。個々人の思惑を離れて、個々人の行為の総和が全く異なるかたちで社会全体に影響を与えるということは、よくある。これも一種の創発の妙理であろう。
 ちなみに、システム論の文脈で言うと、当事者間の意味付けは共同主観的意味付けであり、社会学者による意味付けは機能主義的意味付けということになる。前者は第一次観察に対応し、後者は第二次観察に対応する。また、ハーバーマス社会学の文脈でいうと、当事者間の意味付けは生活世界を構成し、社会学者による構造に対する意味付けは、システムということになる。
 ハーバーマスは、システムが生活世界を植民地化するという危機意識をもっていたが、ギデンズは構造が人々の主体的な行為を支配するのではなく、逆に人々の主体的な行為が構造を生産すると考えており、社会に対する疎外意識・拘束感を視野の外に入れた。
 
 ともあれ、社会学者は、対象となる出来事や行為に対して、当事者である人々による内面的な意味を把握しながらも、社会全体に対する意味を見つけ出し、この二つのレベルの相互関連を注意深く分析していくことになるのである。
 付け加えると、この二つのレベルの解釈は、どちらが正しいということはない。例えば、祭りは神様へのお礼のためにするという当事者たちの共同主観的意味と、祭りは共同体の凝集性を高めるという社会学者による機能主義的意味のどちらも間違いではないということである。むしろ、神様へのお礼という共同主観的意味が単純な科学主義によって否定され、人々が祭りをしなくなり、共同体がバラバラになるほうが有害なのである。社会学は、科学主義が事実の名のもとに人々の生活世界(意味世界)を破壊することを唯一防ぐことができる学問なのである。ギデンズの二重の解釈学は社会学的啓蒙の一つなのである。
 
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by merca | 2011-05-01 10:58 | 理論
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