生物多様性は自然の摂理 思想多様性は社会の摂理

 相対主義は、多様性を肯定する思想である。実は、人為を越えた自然界も相対主義が貫かれており、意外にも、相対主義の根拠は自然界にもある。
 考えてみよう。もし自然界に一つの種類の生物しか存在しないのなら、生物は絶滅しているだろう。生物多様性という言葉が流行っているが、生物は多様性をもつことで、生き残ってきたのである。さらに、その多様な種類の生物が関係すること(食物連鎖=生態系の形成)で、それぞれの種が維持されている。多様な生物は相互依存することで、生き残っている。
 自然界では、どれか一つの形態の生物のみが正しいわけではない。みんな正しいのである。多様性を肯定し、多くの選択肢を温存させるこの自然界の知恵=摂理こそが、相対主義の原型なのである。
 
 思想においても、同様であり、人間社会に溢れる多くの異なる思想は、どれか一つだけが正しいというわけではなく、多様性をもちつつ、相互依存しているのである。人類は多様な思想を生産してきたからこそ、状況に応じて多数の思想から適切な思想を選択し、現在、生き残っているである。人類社会は、多様な思想を生産することで、発展し、絶滅を逃れているのである。
 自然界の多様な個々の生物は、他の生物の存在との関係性を前提として生かされており、バラバラに存在するのではない。関係性こそが多様性を可能にしているのである。それと同じく、一つの思想が他の思想と関係し合うことで、一つの思想は成り立つ。多様な思想はバラバラでは存在し得なくなるのである。論理面において、このことに最初に気づいたのが西洋ではヘーゲルである。
 なお、念のためにいうと、悪しき相対主義は孤立的にバラバラに思想が存在すると捉えるが、私の主張する相対主義は関係性を前提とした相対主義であり、全く異なる。この点の重要な区別がつかず、原理性相対主義などと私を批判する者がいるが、それは的外れだと言えよう。私の相対主義を批判する者たちは、(関係性/無関係性)というコードのうち、無関係性のコードに準拠していることに気づかない未熟な論客なのである。
 さて、話を戻すと、生物多様性が自然界の摂理であるように、思想多様性は、社会の摂理である。
 にもかかわらず、科学のみが正しい知識・思想であるという科学主義がはびこり、思想多様性が破壊されつつある。ニセ科学批判がそれである。ニセ科学批判者は、相対主義を批判することで、思想多様性という人類の社会進化を否定していることになるのである。
 ニセ科学批判という思想は、ニセ科学という思想を獲物にしなければ生存できないわけであり、ニセ科学を完全に否定しては成り立たないのである。また、ニセ科学批判は通俗道徳という他の思想に依存しなければ死滅する。
 相対主義たる思想多様性の摂理に基づき、思想の生態系=思想地図を作成し、思想の相互依存性を解明することは、まさしく、これからの新知識社会学の使命なのである。

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by merca | 2011-07-24 09:58 | 理論
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