選択肢の共有(偶然から必然が生ずるからくり。)

 個々の要素が自己選択性に基づいて偶然な動きをしているにもかからわらず、全体としては秩序が現れ必然の相をもって現象化することがある。
 例えば、1万2千人の人間がサイコロを振ったとする。個々人のサイコロが1から6のどの目を出すかは、全くの偶然である。にもかかわらず、全体としてはある一つの目が出た数は、限りなく2千に近い数となり、1から6の目のでる回数は均等分されてくる。偶然の総和がかえって秩序をもたらすのである。1万2千人の人がサイコロをふったら、ほぼ一つの目が出た回数は等しくなるという必然の秩序を生み出す。
 これと同じであり、社会においても、人々が自己選択性に基づいて好き勝手に行動しても、社会全体として必然の秩序を生み出すことになる。人々の自己選択に基づいた行為あるいはコミュニケーションが結果として、必然の秩序を生み出す仕組みを社会学は解明する役目がある。個々人の自由な消費行動が市場に秩序をもたらすと考えたアダムスミスの神の見えざる手も、これと同じ仕組みである。
 これまで、古典的な社会学では、共通の価値規範やそれに伴う賞罰によって、人々の行動に秩序が生ずると考えてきたが、そのような規範主義パラダイムに基づかなくても、社会秩序生成のメカニズムは説明しうる。ルーマンは、共通の価値規範を共有しなくても、二重の偶有性に基づく予期の総和によって秩序が生成されると考えていた。複雑性の縮減という考えにそのポイントがある。
 実は、社会秩序生成のからくりは、サイコロの例にヒントがある。サイコロの目は6つしかなく、無限に存在する他の自然数が出ることはない。例えば、7や10は出ないのである。つまり、このような限定された事象空間=選択肢を共有することで結果的に秩序をもたらしている。社会秩序もこれと同じである。人々があらかじめ範囲が限定された行為の選択肢を共有し、その範囲内で自己選択することで社会秩序は成り立つのである。例えば、ある商品を買う場合、誰でも100円で買える商品は限られているのである。このような限定された選択肢の共有こそが秩序をもたらすのである。無限の可能性と唯一の可能性の間に選択肢が存在することで、秩序は生成するのである。
 
 ルーマン社会学では、選択肢の範囲を限定することを複雑性の縮減という。簡単に言えば、人々は限られた同じ範囲から行為を選ぶということである。人々はサイコロを振らされているのと同じなのである。また、限られた選択肢から選択するので、自己の選択も他者は理解でき、コミュニケーションが接続していくのである。人々が自己選択における意味地平(選択肢の集合)を共有することで、秩序は可能となるのである。

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by merca | 2012-12-02 10:22 | 理論 | Comments(0)
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