仲正昌樹によるソーカル教批判の甘さ

 哲学者・仲正昌樹氏がニセ科学批判者たちのことをソーカル教と呼んで批判しているが、変な議論になっている。

  「ソーカル教にすがりついてしまう廃人たち」
   http://meigetu.net/?p=3065
 
 仲正昌樹氏は、ニセ科学批判者たちの価値観とネットコミュニケーションの傾向を全く理解していないために、かなり勘違いをしている。というようりか、ニセ科学批判という巨大なネットジャンルが存在することを知らないと思われる。そのために議論に深入りしてしまっている。
 宮台氏、大澤氏、東氏ならニセ科学批判者たちを無視して流すところを真剣に議論しようとしている。この時点で、仲正氏はネット議論で負けである。ニセ科学批判者たちの怖さを知らない。これまで、何人もの相対主義の学者が潰されている事実を知らないのである。
 
 仲正氏は、ポストモダン論者が自然科学理論を借用するのは比喩としてだけであり、本質的な部分とは関係ないと考え、ソーカルのポストモダン論者への批判は、的を得ていないと断言している。
 そして、案の上、ポストモダン論者における自然科学理論の借用は比喩としての利用であり、本質的でないとする仲正氏のソーカル批判に対して、ソーカルを信奉するニセ科学批判者たちが噛み付いてきたのである。
 
 社会学を学んだ私からすれば、ソーカルの根本的間違いはそんなところにあるのではなく、単に思想と科学の区別ができなかったところにある。思想は、対象と認識が一致する知識を目指しているわけではなく、人々に流布し、自我統合と社会統合を機能を果たせばよいのである。思想は物語でもよいのである。ニーチェの哲学はまさしくそれである。一方、近代社会においては、科学は、対象と認識が一致する実証的知識を提供する役割を担っており、(真/偽)のコードに準拠している。近代社会で唯一信頼されうる知識体系である。
 
 ソーカルは、思想と科学を同レベルのコードで認識していたのである。社会システム論的にいうと、社会的機能の混同である。ポストモダン思想はあくまでも思想であり、科学ではないので、真偽で区別する必要はない。思想と科学の混同こそがソーカルへの正しい批判である。また、哲学も世界の観察道具であって、科学のように具体的対象に対する知識そのものではない。ソーカルには、観察道具と事実的知識の混同も見受けられる。
 ソーカルを批判するのなら、科学と思想の機能の混同、科学と哲学の機能の混同、つまり社会的カテゴリーの混同を指摘した方が効果的である。

 ともあれ、哲学者・仲正氏は、正規の学者たちが太刀打ちできないほどに集積された知識体系たるニセ科学批判という現象がネットにおいて自然発生し、一部のニセ科学批判者においては既存のアカデミックな学システムに属する学者から学術的知識についての真偽の決定権を剥奪するほどの知的能力を所有していることをわかっていない。
 ここで、仲正氏に告ぐ。今から勉強したまえ。私のブログにあるニセ科学批判の分析記事を閲覧したまえ。早く学習しないと、大変なことになるぞよ。
             同じ相対主義者としての忠告
                        論宅より

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by merca | 2015-08-28 21:40 | ニセ科学批判批判
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