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他者愛は、自己愛に還元されない。

 他者愛とは、他者の他者性を尊び大切にすることをいう。従って、自己愛には決して還元されない。他者の他者性とは、自己には決して支配できない無限性・超越性だからである。他者の自由意志は、決して自己は支配できない。だから、他者というのである。
 もし自己が支配できるような存在、すなわち自己の同一性に包摂できるような存在であれば、真なる他者ではなく、自己の延長にしかすぎない。レヴィナスのいうように、他者の顔は、支配できない。
 自己にとっては、他者は決して届かぬ超越性、無限性である。だから、他者は自己にとって神である。他者は、超越性・無限性をもつ存在である限り、決して他者を殺すことはできない。殺人の不可能性は絶対的真理である。
 
「汝殺すことなかれ」は、他者の他者性を決して否定できぬことを意味しており、肉体的な意味での人間は殺せても、魂=自由意志としての人間を殺すことは決してできない。人間存在が魂=自由意志として実存する限り、いかなる殺人も不可能である。
 他者論倫理学からは、人は人を殺すことはできないのである。従って、人を殺そうとする者の欲望は決して満たされることはない。殺人願望ほど愚かな行為はない。人を殺してはいけないという倫理は、このような仕方で体得されるものであり、他者の他者性を受容する者だけが真に身につけることができる。

「なぜ人を殺してはならないのか?」という質問に対しては、真の意味で、人は人を殺すことができないからであり、不可能で愚かな行為であるからだと言っておこう。
 殺人の不可能性を悟った時、同時に他者を敬う気持ちが沸き起こり、それが他者愛となるのである。そして、自己愛には他者愛は還元されないのである。
 ニーチェの思想は自己愛の思想であり、他者性がなく、真理ではない。

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by merca | 2015-10-20 00:28 | 反ニーチェ
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