「批判的実在論を考える」第1回 統計的実証主義の克服

 「批判的実在論を考える」第1回 
   サブテーマ 批判的実在論は、統計的実証主義を乗り越えたか?

 ロイ・バスカーを創始者とする超越論的実在論の思想的発展形態である批判的実在論が、統計的実証主義(エビデンス主義など)やそれと対立する社会構築主義を乗り越えたと豪語しているが、それが本当か理論的に検証してみたい。

1 統計的実証主義の克服・・・メカニズムを無視した認識論的誤謬
  批判的実在論は、とにもかくも、ヒュームに源流を持つ経験主義を嫌う。経験主義は、統計的実証主義(とりわけその最高形態であるエビデンズ主義)として近代科学思想に根付いている。統計的実証主義においては、現象の根底にある生成メカニズムが解明されなくても、統計的に有意な相関関係や因果関係を見いだすことができれば、科学的真理として認定し、実用することになる。その典型が医学における医薬品の効果におけるエビデンス主義である。
 しかし、批判的実在論の立場からは、生成メカニズムが解明されていない現象は、たとえ統計的に有意であっても、科学的真理として扱われず、実験を繰り返し、メカニズムが解明できれば、そのメカニズムそのものが科学的真理となる。
 
 「全てのカラスは黒い」という仮説は、白いカラスが発見された場合、統計的実証主義からは否定される。しかし、カラスの遺伝子構造というメカニズムが解明され、発見された白いカラスが遺伝子病からたまたま白くなっているだけであると分かれば、「全てのカラスは黒い」という仮説は、否定されなくなるし、このような例外についても遺伝子構造から説明可能となる。個体の内部構造が正常であれば、「全てのカラスは黒い」ということになる。反証主義のポパーは単純すぎるのである。
 この場合も、批判的実在論においては、「全てのカラスは黒い」という現象に関する命題が科学的真理であるわけではなく、カラスの羽を黒くする遺伝子構造というメカニズムが科学的真理ということになる。

 うつ病についても、脳内のセロトニン不足にあるという仮説があるが、どのような外部構造と内部構造を条件として、セロトニン不足がうつ状態という気分障害をもたらすのか、そのメカニズムを解明しないがきり、十分な科学的真理とは言えない。例えば、ストレスの少ない安定的環境にあれば、セロトニン不足であったとしても、気分障害という現象が発現しない場合もあると考えられる。その場合、環境が生成メカニズムの発現の抑止要因となっている。メカニズムが作動しているとしても、内外に存在する多様な諸要因が力としてはたらき、メカニズムによる症状発現を止めたり、変形したり、その程度を左右する。パスカーは、多様な諸要因が存在する状態のことを「開かれた系」と定義している。人体という生命体は「開かれた系」である。内外環境という要因を無視して、現象が偶然に生じることもあるという可能性を排除する統計的実証主義は不完全な認識なのである。研究対象となる現象の生起は、多様な内外環境に左右され、偶然の産物にしかすぎないおそれがあるのである。
 
 多要因の力関係で構成された「開かれた系」においては、様々な要因のペクトルの均衡点が現象であり、その意味において、現象は諸要因に影響される偶然であり、規則性を見いだすのは困難になる。これは、いわゆる複雑系である。そこで、批判的実在論においては、内外条件を統制し、実験を繰り返すことで、相対的に「閉じられた系」をつくりだし、純粋に生成メカニズムを浮き彫りにし、生成メカニズムを解明することを科学の目的として定めている。
 
 しかし、複雑系で注意しないといけないのは、創発特性である。批判的実在論においては、おおよそ原子、分子、生命体、精神、社会の順番において、階層が実在すると考えられている。例えば、生命体は、一つの階層であり、分子構造のみから説明することはできない性質=創発特性をもつ。従って、生成メカニズムとは、階層化された存在の働きに帰属することになる。
 実のところ、批判的実在論は、階層性という一種のホーリズムを密輸入している。複雑な分子構造からなる細胞という生命体が一個体として実在することを認めている。
 創発特性は、要素を条件とするが、要素に還元できない全体性をもつ。この全体性が要素の存在の条件として逆に作用もする。例えば、うつ病がセロトニン不足という脳神経システムたけでは説明がつかず、精神という別の階層に属する病気であるとすると、セロトニン不足は一つの条件ではあるが、精神=心的システムの病理となり、精神分析学が有効となるわけである。
 
 批判的実在論が、自然階層における一個体を実在するものと見なし、ホーリズムを科学に持ち込んだ功績は大きいと思われる。
 要素同士の相互作用、外部との相互作用だけから現象を説明するのなら、還元主義の一種にしかすぎないが、要素や外部という要因以外に、階層に伴うシステムとしての全体性が実在し、それがメカニズムの帰属先となっているという認識なのである。統計的実証主義は、要素同士の相互作用、外部との相互作用の関係を捉えることしかできないが、批判的実在論は階層システムを捉える。ただし、階層システムを捉える方法が客観的ではない。自然階層が存在すること自体は、究極的に学者の哲学的直観の産物なのである。つまり、経験を越えた超越論的な直観である。この直観に実証的根拠はないが、論理的にそれを前提とすることなしに現象を説明することができないというレベルでないといけない。それが批判的実在論の本質的方法であるリトロダクションと呼ばれる知的作業である。
 例えば、ハーバーマスのコミュニケーション的行為論において、理想的発話状況の前提として、真理性、正当性、誠実性の三つをあげているが、これは統計による実証的根拠によって得られた知識ではなく、リトロダクションによって得られたメカニズムなのである。ある現象を説明するのに前提とせざるを得ないものを論理的直観で把握することがリトロダクションなのである。ほとんどの社会理論がこの方法で見いだされており、リトロダクションによる生成メカニズム把握こそが科学の目的であるのである。統計的データは、その手段にしかすぎないのに、統計的モデル理論が幅を利かせている。しかし、統計的データのみからはいかなる理論も構築できない。
 論理的直観に対して科学的根拠はないと批判することは可能であるが、批判的実在論は論理的直観なしにメカニズム把握はできないと考えているのである。

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by merca | 2015-12-30 10:44 | 理論
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