「批判的実在論を考える」第2回 社会構築主義の克服

2 批判的実在論は、社会構築主義を克服したか?
 批判的実在論は、社会構築主義と一線を画する。社会構築主義は、科学も含む全ての人間の知識は社会的に構成された相対的なものであり、客観的なものではあり得ないと主張する。しかし、批判的実在論においては、人間の意識とは独立に外界に、生成メカニズムや構造が実在するという立場をとり、それらを把握することが科学の目的であると主張する。
  実験という方法で「閉じられた系」を作り出し、近似的に生成メカニズムや構造を解明していくことになるという。実験は意識が予測していない結果を出してくれるわけであり、意識の外にある自然界からの応答であるとも言える。つまり、人間の意識とは独立した自然界からの反応をメッセージとしてキャッチすることが実験の目的である。このような実験の意義については、自然科学の世界では当たり前の話であり、何も批判的実在論でなくても、たぶん科学者は普通にそのように考えていると思われる。実験が意味をもつためには、意識とは独立した存在=自存的対象を前提とする必要があるというわけである。
 さて、ここでポンイトは、外界に実存すると言っても、素朴実在論や経験的実在論のように経験的に存在する事物が実在すると言っているわけではないのを押さえておく必要がある。経験的に実在する事物は、意識によって加工された意存的対象にしかすぎない。例えば、目の前にあるイスや机などである。これらのように意識によって認識された目に見えたままの世界は、実在物ではなく、かえって意識や言葉によって構成されたものにしかすぎず、社会構築主義によってその実在性を骨抜きにされるのである。
 要するに、批判的実在論は、直接観察可能な事物=現象が実在すると言っているではなく、直接観察不可能であり実験でしか把握できないものこそが実在すると言っているである。この直接観察不可能で経験を越え、実験の積み重ねによる論理的推論やリトロダクションでしか捉えることができないものとは、生成メカニズムや構造のことであり、これのみが意識や社会による構成とは別に、世界で実在するというのである。
具体的にいうと、イスや机は意識によって把握された概念的存在=人工物であるが、イスや机を構成する木の細胞や細胞を構成する分子は実在するというのである。おそらく自然階層ごとの一個体のみが実在するということになると思われる。このような立場は、自然科学においては、科学的実在論というかたちで、洗練化されつつある。批判的実在論は、どらちかというと、社会科学をターゲットにしている。
 
 批判的実在論においては、人間の心も社会も直接観察不可能であるが、階層として異なる次元に独立に実在するという立場をとる。しかし、批判的実在論は、自然のメカニズムのように不動の存在として、社会が実在するとは捉えていないようである。
 バスカーは、社会構造に制約されたかたちで人間は相互行為をするが、その相互行為を通して社会構造も変化していくと捉えている。また、変化した社会構造が相互行為を制約する。パスカーは、このような螺旋状の循環的相互作用を見抜き、「社会構造とエージェンシーとの相互作用における分析的サイクル」として定式化している。これは、社会学者ギデンズの構造化理論と同型の社会理論である。
 
 しかし、ここまでくれば、社会構築主義とあまり変わらなくなる。基本的に、社会構築主義とは,社会は言語的コミュニケーションによってつくられたものであるという説である。その基礎は,バーガーとルックマンの知識社会学にある。社会構築主義の公理を定式化すると,外存化,客体化,内存化の三つの循環的過程となる。外存化とは,人間の内的世界が外部世界に投影され,なんらかの形をなすものとしてあらわれることを言う。客体化とは,その外在化されたものが所与の現実として客観的でリアルなものとして現れることを言う。さらに,内在化とは,その客体化された現実を内的世界に取り入れることである。例えば,法律は,人々がつくったものである(外存化)。その後,人々にとってその法律が社会環境の一部になる(客体化)。さらに,その法律を内面に取り入れ,自己の行動を規制していく内的な規範としていく(内在化)。
 
 批判的実在論と異なる点は、社会構築主義が社会の中に意識を取り込んだ理論にしている点である。パスカーによる「社会構造とエージェンシーとの相互作用論」では、意識の次元と存在の次元が交わることがない。ギデンズの構造化理論も同じてある。当事者の意識の次元と社会構造の次元を独立したものとして区別している。
 一方、社会構築主義は、意識の次元の内容が存在次元の客観的な規範=社会構造として外化し、さらにまたそれを意識が内在化することで個々人の行為に制約を加えるという構図になっている。
 かたやバスカーの相互作用論では、どのように社会構造が相互行為を制約し、どのように相互行為が社会構造を変化させるのか具体的に説明がない。
 というよりか、社会構造と相互行為の相互作用のメカニズムを説明していない。意識(=心)と社会が別次元の階層に属するという批判的実在論の立場からは、原理的に相互行為と社会構造の具体的関係は解明されないことになるのである。
 
 このような困難は、実はルーマンのシステム論では克服されている。別次元にありつつも、社会も意識も同じ意味システムであるという視点をとることで解決される。つまり、コミュニケーションを要素とする社会システムという発想で解決できるのである。
 コミュニケーションは、情報、伝達(発信)、理解についての選択からなる。意識システムが他の意識システムに何を伝えるか選択し、その伝達方法も選択し、そして他の意識システムが選択的に理解する。この一連の過程がコミュニケーションである。そして、コミュニケーションがどのようなコードに準拠して創発されたかで、創発されるシステムの種類が決まる。創発されたシステムは、コミュニケーションを通して自己を再生産する。事前のコミュニケーションが後続するコミュニケーションの前提となることで、コミュニケーションを再生産していくことになる。
 いずれにしろ、社会の創発に関して、意識システムが介在することになるわけであり、意識と存在の並行論とはならない。ルーマンは、社会構築主義と同じく、意識と存在の交差論の立場をとる。

 社会構造(ないしは社会システム)が前提となり、相互行為(コミュニケーション)をつくり、相互行為(コミュニケーション)が社会構造(ないしは社会システム)をつくるという循環過程については、社会学の本質的メカニズムにかかわる問題であり、簡単に語り尽くすことはできない。
 とりあえず、ここでは、並行論と交差論という二つの立場があることを確認しておこう。そして、批判的実在論が並行論をとることで、人々の意識によって社会が構築されるという相対性を排除していることを確認しておこう。

参考文献
 ロイ・バスカー著「科学と実在論」
 バース・ダナーマーク他著「社会を説明する」

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by merca | 2015-12-31 18:15 | 理論 | Comments(0)
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