反社会学講座の盲点をつく・・・批判的実在論の観点から

 反社会学講座は、ほとんどの場合、人々の抱く常識を統計的データや史実によって否定し、常識と反対の命題を提示するという脚本で出来上がっている。これは一見すると、常識の根拠を問い直す社会学の方法とよく似ている。
 しかし、この脚本が読者に功を奏するのは、統計的データや史実こそが客観的な事実であるという常識が人々に流布しているからである。もし人々が統計的データや史実こそが客観的事実であるという真理観・科学観を抱いていなかったら、何のリアリティもパオロ氏の説に抱かないであろう。統計的データは、科学でもなんでもなく、特定の観点から現象を記述したものであり、様々な諸要因から生じた偶然の産物にしかすぎないのにである。 
 このように、パオロ氏は、多くの人々に共有されている共通の真理観・科学観を利用して逆説的な自説を真実に見せかけているのである。
 ここで、もしパオロ氏が本気で自説が正しいと思っているのなら、「統計的データ=客観的事実」という世間の常識に自らが染まっていることになる。
 パオロ氏は人々は常識や通説に騙されていると主張するが、自らも社会の常識に騙されていることになるのである。きちんと科学哲学を知っていれば、「統計的データ=客観的事実」という短絡的思考に行き着くことはない。また、自己の論理を自己適用しないところがパオロ氏が社会学でない証拠でもある。 
 
 具体的に示そう。
 さて、パオロ氏は、昔に比べると少年犯罪は減少しているという統計データでもって、古い世代の人間は今の世代の人間よりも凶悪であると結論付けている。本当にそうか?
 実のところ、これは、端的に社会条件を無視した議論である。戦後間もなくの日本社会と現代日本社会とでは、全く社会条件が異なる。戦後間もなくは、経済的、政治的にも不安定な社会であり、食べるのに困る人たちで溢れかえっていた社会である。また、教育制度や刑事政策制度も今のように進んでいない。そのような不安定な社会では、犯罪が多発するのは当然である。秩序は緩み、生きていくために犯罪をする人たちも多くいたわけである。
 
 このような社会条件を無視して、古い世代の人間は現代の世代の人間よりも凶悪であるというのは全くの戯論である。過度の孤立、貧困、失業が犯罪を生み出す要因になるという犯罪発生のメカニズム、それと犯罪抑制要因である刑事政策の進歩を無視した非科学的思考である。
 同一の社会条件のもとで、犯罪が減少したのなら今の若者のほうが凶悪でないと言えるが、このように著しく社会条件が異なるのに同列に比較し評価する彼の手法は明らかに科学的に間違いである。
 
 また、逆に戦後社会が安定して教育制度も充実化して来たにもかかわらず、犯罪をする現在の少年の方が凶悪化しているとも言えるわけである。殺人をしてみたいから殺したという理由のない殺人=脱社会性の少年による猟奇的犯罪のほうが明らかに凶悪である。
 社会学者宮台氏の分析のほうが優れているのである。質的観点からいうと、裕福な家庭に育ち理由なき猟奇的殺人をする現代の少年のほうが、貧困にあえぎ食うに困って強盗する戦後間もなくの多数の少年よりも明らかに凶悪である。

 他にも、パオロ氏は、近代化論を無視して、前近代社会である江戸時代の日銭稼ぎの就労者と後期近代社会である現代のフリーターを同列に扱い、フリーターになることを奨励したりしている。社会条件が全く異なるのに、過去の日本人と現在の日本人を単純比較し、昔はパラサイトシングルやフリーターも肯定されていたみたいな説を唱えている。 

 いずれにしろ、ほとんどパウロ氏の議論は、故意かどうかわからないが、社会条件を無視して、比較できないものを比較するという過ちを犯している。この過ちは、「統計的データ=客観的事実」と考える統計的実証主義の科学観にありがちな誤謬である。パウロ氏には、批判的実在論を勉強することを勧めたいものである。

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by merca | 2016-01-01 22:47 | Comments(0)
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