アドラー心理学は、実証科学ではなく、思想。

 アドラー心理学が流行りすぎている。今やニーチェよりも流行っており、人々に受け入れられている。
 しかし、まずは、アドラー心理学は、科学ではなく、思想であることを理解する必要がある。残念ながら、アドラー心理学には、実証科学的根拠はないのである。因果律ではなく、目的論を採用していることからも、それはわかる。科学は、統計学的手法により、因果図式で対象を捉えるからである。

 アドラーは、無意識が人の精神や行動を規定するという因果律を唱える精神分析学を否定する。また、過去のトラウマが精神状態に影響を与えるという因果律を唱えるトラウマ学(ハーマン)を否定する。人間は、因果律で動くのではなく、主体的に体験を意味付けることで、与えられたものを利用するという立場を取る。
 従って、目的によって選択された意味付け次第で精神や行動はいかようにもなると考える。さらに、個人は、性格分類等で分析的にバラバラにして捉えることが不可能であると考え、個人心理学という立場をとる。不可分の個別性は、実証科学の外である。科学は、反復する一般性のみを対象とし、唯一無二の個別性は対象にできないからである。主観によって、世界や体験を解釈するというのなら、心理構成主義の一種とも言えるかもしれない。

 アドラーは、幸福になるための三つの原理を提示している。自己受容、他者信頼、他者貢献の三つである。
 自己受容とは、ありのままの自分を受け入れること。
 他者信頼とは、他者は敵ではなく、味方=仲間であるという感覚をもつこと。
 他者貢献とは、自分の価値は、他者の役に立つと思うことで得られること。
 これは、ロジャースがあみだした無条件の肯定的配慮、共感的理解、自己一致というカウンセリングの三原則に似ているが、アドラーの三原則のほうが範囲が広い。つまり、アドラーは、カウンセリング関係のみならず、人間関係一般を射程に入れているからである。

 アドラーは、この三原則を実践することで、人間は共同体感覚を得て幸福になれると考えている。簡単に言えば、いかなる他者とも仲良くし、善行を為すことで、他者とつながり合って、幸福になるという考え方である。これは、エゴイズムを否定する究極の性善説であり、科学的根拠はない。これを実践して幸福になった人間を調査し、統計的な因果関係が立証されないかぎり、科学とは言えない。思想のレベルにしかすぎない。
 
 しかし、私は科学的手法のみが正しいという固定観念からは自由なので、アドラーの思想が真理であるという可能性は否定しない。というよりか、近代社会では、アドラーの思想に反対する価値観をもっている人は少ないと思われる。アドラーの思想を所有することで、近代社会が平和になり争いがなくなるのに役立つのである。つまり、世界平和に役立つ思想である。平和を望む社会では、アドラーの思想は、(社会的)真理となるだろう。つまり、道徳的真理として機能するわけである。
 
 特に、アドラーのいう共同体感覚というのは、全ての他者との肯定的な関係性(仲間意識)を感じる感覚であり、個別の国家共同体を越えて、人類社会を含む宇宙全体を意味している。従って、個別の国家共同体という枠ではなく、人類社会という枠がより上位の共同体であり、国家間の争いや対立は相対化されることになる。人類はみんな仲間であり、戦争は否定されることになる。さらに重要なことは、世界の中心に自分をおくべからずと、アドラーは考えていることである。世界の全ての他者と対等に関係しているのが真実だと主張し、自己を中心におく思考では真に幸福になれないと考えているのである。これは、脱エゴイズムである。
 
 アドラー心理学は、平和な世界社会を可能にする思想なのである。しかし、アドラー心理学と同じような立場をとる思想や哲学は世の中に多くある。人々に注目される目新しさはどこにあるのかと思ってしまう。
 思想的には目新しくないが、人々に流行るのは、心理学という科学の装いをしていること、加えて全ての問題は人間関係にあると考える点だと思われる。つまり、心理学が科学だと思われており、科学のみが真理だと思っている現代人には受け入れやすいこと、さらに人間関係で悩む人が多い現代社会では、全ての問題は人間関係に帰着するというアドラーの価値観は適合的であるからである。

 いずれにしろ、アドラー心理学という思想が後期近代社会にどのように機能していくか見極めて行くことが、社会学の役目である。

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by merca | 2017-05-07 23:52 | 理論 | Comments(0)
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