不安社会の根底にあるもの


  犯罪不安社会・教育不安社会・政治不安社会など、多くの不安社会論が立ち上がり始めた。しかし、これらの不安社会論は、全て根拠のない不安を扱っており、根拠のない不安によって行政が動くことを批判している。無根拠な不安がつくられる社会過程を分析している。基本的には、人々が抱く不安がその社会的実態と乖離しているという矛盾点を指摘するという方法をとる。例えば、社会学者の内藤氏らの「ニートっていうな」では、ニートというカテゴリーの若者が統計的に増えていないという矛盾点を指摘し、ニート問題が社会の集合的ヒステリーであることを明らかにした。さらに、芹沢氏の「犯罪不安社会」では、犯罪統計の専門家の協力を経て、犯罪実態と不安意識の乖離を実証し、犯罪不安がつくられたものであることを明らかにした。
 「子供が危ない」「若者が怖い」「学校がおかしい」などの言説をテーマにした評論やテレビ報道は、全て虚構の上に築かれた不安を前提としているというわけである。

 不安社会論者が、不安がつくられる過程で重要視するのは、学者、マスコミ、政治家、市民活動家の役割である。それらの相互作用によって、一つの不安がつくられるというわけである。

 ところが、実は、一つ抜け落ちている点がある。それは、不安を抱く当の人々が置かれている社会環境である。いくらマスコミが煽ったところで、人々のほうに不安を抱く社会的素地がなければ不安は発生しないのである。不安を抱きやすい社会的素地とは何か?これからは、これが課題になるのである。

 ここで、宮台真司の成熟社会論が一つの解釈を与えてくれる。それは、不透明な社会や過剰流動化社会という観察である。不透明な社会とは、共同体が解体し、人々がバラバラになって、個人の心や行為の動機が不透明となることを意味する。若者が何を考えているのか分かりにくい、他人が何を考えているのか分からないという感覚であり、見知らぬ他者に対する不安となってあらわれる。また、社会の過剰流動性によって、自己の仕事や対人関係が転々と変り、安定的な居場所を喪失し、自己や未来に対する不安がつくりだされる。
 つまるところ、共同体の崩壊が不安社会のベースにはあるということである。
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by merca | 2007-01-03 15:01 | 社会分析
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