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社会問題はつくられる

犯罪不安社会論を提唱する芹沢一也氏。その強力な編集者・安原さんのブログで、いつものようにコメントしました。
 http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10022908805.html


   放浪の社会学コメント屋・論宅のコメント

         社会問題はつくられる
 論宅です。
 社会構築主義の観点からは、社会問題は、社会問題として出来上がった時点で、すでに特定のイデオロギーや目的や利害が刷り込まれてしまっています。社会問題化することそのものが、クレーム申し立てを行った団体や当事者の利害や思想から観察して構成されたものであるからです。
 一度、出来上がった社会問題が暴走しないためには、社会問題化した視点そのものを相対化し、別の観察点から再構成・脱構築していく必要があるでしょう。その際、様々な学者や政治家が社会問題を自己の立場や目的から観察・解釈し、自説を正当化するための道具とします。しかし、利用の力学は、当初から社会問題化した視点に取り込まれていた視点を相対化する役目も担っています。
 そういう意味では、芹沢氏の犯罪不安社会論や教育社会学者の本田さんのニート分析も、社会科学のコードである(科学的真実/虚構)という視点=区別に準拠した治安悪化問題やニート問題の再構成・脱構築の営みの一つであると言えます。
 社会問題を利用するのは政治家や官僚のよくやることですが、様々な観点から社会問題を相対化し、人々に示すのが学者の役目です。
 ただ、一般の人々は社会科学者と同じ区別に基づいて社会問題を受容するわけではありません。生活上の利害に準じ、自分たちの不安を投射して社会問題を受容します。真実がどうであれ、少しでも自己の生活の不安を減らしたいという意識や目的があり、それにマスコミがのっかているような気がします。
 ちなみに、昨日の毎日新聞の体感治安悪化問題の記事では、人々が不安を感じているという観点から統計的なデータの解釈をしています。統計が先にあるのではなく、先に不安から出発して治安悪化問題を構成しているように思えました。
by merca | 2007-01-10 22:13 | 他ブログコメント
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