社会的排除

  近代社会は、機能分化の社会だとルーマンは分析した。つまり、教育・福祉・法律・政治・経済・医療・宗教などの各システムが、自律化し、他に還元できず、対等に立ち並ぶことを意味する。前近代社会では、家族(親族)集団が教育・労働生産・福祉など多機能を担当していた。パーソンズも指摘するように、近代社会になると、家族の機能は、子供の養育・大人の感情安定化・性的欲求の充足だけになり、極めて純粋化している。後期近代社会では、家族はそれすらも他の組織に委ねつつある。
 
 一般に、一つの社会的セクションに、別の機能が混ざり込まないことが、機能分化の眼目であった。これが近代化の方向だとすると、現状はどうだろうか?
 
 実は、法システムである刑事政策というセクションが多機能化の危機に晒されている。 犯罪の原因は、個人の自由意思や規範意識の問題だけではなく、個人を取り巻く社会環境に原因があるという認識に基づき、福祉・教育・就労支援などの援助をするようになってきている。つまり、犯罪者・非行少年は、福祉・教育・雇用機会から社会的に排除されており、それが犯罪の要因となっており、かつまた更生の妨げになっているというわけである。
 司法福祉という分野があるが、このような分野があること自体、法システムが福祉システムの機能を抱えてしまっていることを意味している。また、刑務所の福祉施設化は、よく新聞でも指摘されるようになった。浜井浩一さんが指摘するように、厳罰化によって、高齢者・障害者などの社会的弱者が微罪で収容され、刑務所の福祉施設化を招いたわけである。このことは、雇用機会や医療や福祉から社会的に排除されたことが犯罪の要因であるという因果図式を証明しているとも解釈できる。

 確かに、心理学・社会学・教育学・社会福祉学の専門的知識に基づき、厳密に犯罪・非行を分析すると、犯罪要因は複数発見され、多様化することになる。この多様化の分だけ、刑事政策担当機関は、多機能にならなざるを得ないことになる。

 人間科学による犯罪要因論が、法システムに複数の他のシステムの機能を抱え込ます科学的根拠を提供する。しかし、そうなると、法システムが、福祉システムや教育システムや雇用システムの欠陥を尻拭いすることとなり、他のシステムの欠陥を隠蔽することにならないかと危惧される。福祉システムや教育システムや雇用システムから社会的排除を受けている社会的弱者が法システムにひっかかってやっと援助を受けることができるというのは、やはりおかしいと思われる。福祉システムや教育システムや雇用システムの欠陥を改善し、法システムに依存しないようすにするのが、本来の在り方だと考えられる。

 これは中間集団が弱体化していることと相関している。労働組合・宗教団体・政治組織(共産党)など、家族と国家の間にある組織を中間集団と呼んでいるが、昭和時代までは、これらの集団が社会的ネットワークとなり、弱者が社会的に排除されることを防いでいた。国家のサービスと個人をつなげる役目をしていた。例えば、生活保護の段取りをしてくれた。しかし、成熟社会に入ると、個人がバラバラになり、組織化されていないために、生活に窮しても、相談相手もおらず、国家のサービスを受けるノウハウさえ知らない。フリーターやニートは、バラバラであり、社会的に排除されている。現状では、法システムにひっかかること(犯罪)でしか、国家のサービスを受けることができないという異常な事態を招くおそれがある。
 そういう意味では、新中間集団として、NPOの力が試されるのである。
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by merca | 2007-01-19 06:26 | 社会分析 | Comments(0)
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