見田社会学の相対化

 システムは、要素と関係からなる。要素を何に設定するかで、社会学理論のあり方が変わってくる。古典的な社会学では、要素を個人と設定してきた。(個人/社会)という区別で構築された理論である。社会契約論などの各種社会哲学の多くは、この系譜に属する。個人の自由と平等という人権が確保される社会の設立を目指して、理論構築された社会哲学が多く見受けられる。デュルケームの自殺論などでも、基本的に(個人/社会)という区別に準拠して社会理論が構築されている。ジンメルの社会圏の交差という理論も、個人を単位とし、個人における社会圏の分属を描いている。テンニースの(ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト)の社会類型論も、個人の集団所属の仕方に関わり、個人を社会の要素と捉えている。タルドなどの相互作用論は、(個人/社会)という区別に基づき、個人のほうをマークし、心間相互作用によって社会はできていると唱えた。社会学における方法論的個人主義と方法論的全体主義の対立は有名である。ちなみに、ハーバーマスの(生活世界/システム)という区別も、(個人/社会)という区別に別の区別を参入させてつくられたものである。
 
 パーソンズの社会体系論に至って、はじめて(相互行為/社会)という区別に準拠して社会理論が構築された。そして、ルーマンは、(全体=社会/部分=個人)という認識対応図式そのものを解体し、社会の最小構成要素をコミュニケーションと定義し、社会システム論を展開した。(関係/要素)という観点からルーマンの社会システム論を観察すると、(コミュニケーション/社会システム)という区別に準拠していると考えられる。

 いずれにしろ、要素を何に設定するかで、その社会理論の基本ベースが見えてくる。
さて、そこで、見田宗介の社会類型論は、社会の構成要素を何と設定しているのだろうか? 同氏は、他者の二義性と自由意志の二つの軸を掛け合わせ、四つの社会構成体がありうると考えた。交響体・連合体・共同体・集列体である。他者の二議性とは、他者が自己の幸福にとって必要な存在であるという側面と、逆にそれを制約・阻害する存在であるという側面を持ち合わせていることをいう。これを(共同態/社会態)の軸と呼んでいる。自由意思とは、自己選択的かそうでないかという軸である。これを(意思以前的/意思的)の軸であると呼んでいる。(即自/対自)と言い換えることもできると考えられる。この社会の4類型は、個人が社会あるいは集団にどのように関わるのかという観点から構築されており、明らかに社会の最小単位・構成要素を個人に設定している。この点、ルーマンとは全く違うと心得ておきたい。明らかにこれは、古典的な社会学や社会哲学の部類に入るのである。しかし、だからといって、無価値ではない。色々な社会思想や政治思想を分類する上で非常に役立つのである。また、別の機会にそれについて述べてきたい。

 ここでは、(関係/要素=項)という区別が、システム論のみならず、全ての社会学理論・社会哲学・政治思想などのメタコードであるということを確認しておきたい。
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by merca | 2007-01-27 11:27 | 理論
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