郷土愛と愛国心の区別

 見田社会学における社会の四類型論を使用すれば、今議論がよくなされている郷土愛と国家主義のねじれた関係を解決することができる。

 郷土愛は、共同体によって生み出される。一方、近代国家は、連合体としての体裁を整えている。社会の四類型論から理念的に説明すると、共同体と連合体は、そもそも全く異なり、対極にあることになる。共同体は、親密な人格的関係を基礎におき、意思以前の自然発生的な社会圏である。連合体は、非人格的関係に基礎をおき、人工的につくられた行政・法システムであり、意思によって自覚的に関わる組織体である。連合体としての国家組織があることで、他者からの不当な人権侵害行為を防ぐことができるのである。社会学的には、共同体たる郷土と連合体たる国家は全く性質が異なる社会圏なのであり、郷土愛と愛国心はやはり違うのである。

 しかし、しばしば郷土を守るために愛国が必要だという論調をよく聞く。これはどういうことなのか?これを解くためには、社会の四類型論が連続性に準拠している理論であることを見ていく必要がある。実は、社会の四類型論は、非連続的二分法ではなく、連続的二分法に基づいているのである。(連続性/非連続)のうち、連続性をマークして構築された理論である。つまり、ある一つの社会圏は、共同体的要素、交響体的要素、集列体的要素、連合体的要素の全てを連続的に含んでいるということである。どの要素が強いかによって、区別されるだけである。例えば、学校を例に取ると、学校は法的には組織であり、ゲゼルシャフト=連合体であるが、内実は親密な友達からなる仲間集団が存在しており、ゲマインシャフト=共同体でもある。また、競争が存在しているという点で、集列体的要素も含まれている。また、クラブ活動などで、交響体的な要素も発揮できる。観察者がどの区別に準拠するかによって、別様に立ち現れる。
 
 このように、現実の一つの社会圏は、複雑な様相を示しており、どの区別を用いて観察するかによって、様々な姿に見える。観察する側がいかなる区別を用いて一つの社会を観察するかで社会はいかようにも、そのようなものとして創発されることになる。
 
 日本における国民社会=全体社会を観察対象とし、共同体的観点から観察すると、家族愛や郷土愛なるものが見えてくるのである。また逆に連合体的観点から観察すると、人権国家的様相が見えてくるのである。集列体的観点から観察すると、経済国家としての様相が見えてくるのである。交響体的観点からすると、福祉国家としての様相が見えてくるのである。
 郷土愛が国家主義に利用されるのは、全体社会の同一性を媒介にして、郷土愛と国家がつながっているからである。ただ、そのつながりは、システム間の意味的・機能的なつながりではなく、観察者の主観の中で無分別につながれているにすぎない。全体社会という容器の中に、色々なものが雑多に混在しており、国家主義者という観察者がたまたまその中にある国家と郷土愛の二つを取り出し、自己の使用目的に応じてつながっていると言っているだけなのである。システム論で言う教育システムと労働システムが機能的につながっているという構造的カップリングのレベルではない。
 しかし、一度、この二つがつながっているという言説がコミュニケートされるやいなや、多くの人々の愛国心の動機形成として郷土愛が利用され、それが機能的に連関しはじめ、社会的事実として本当になってしまうおそれは大きい。これを防ぐには、(戦争/平和)という区別で観察し直すことを勧めたい。
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by merca | 2007-01-28 12:15 | 社会分析
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