独我論のコード

             独我論のコード

 独我論とは,世界には私しか存在しないという思想である。しかし,思想である限り,独我論も,何らかの区別に準拠している。凡そ区別に準拠していない思想や論理はないのである。独我論が準拠する区別として,(自/他),(一/多),(同一性/別異性),(意識/存在)をあげることができるが,どの区別を強調するかで独我論の種類が異なってくる。各々の区別によって独我論を分類し,独我論とその対抗思想について論じたい。

1,(自/他)に準拠する独我論
 (自/他)の区別に準拠し,自我のほうをマークして提示される独我論がある。自分以外の存在つまり他我(他者)は存在しないという思想である。所謂,世界=私という思想であり,ウィトゲンシュタインの独我論であり,自我独我論と呼びたい。
 これと反対の思想は,(自/他)のうち,他我(他者)のほうをマークして提示される他者論である。レヴィナスの他者論がこれにあたる。レヴィナスの他者論では,まずは他者からの呼びかけがあり,その後に自我が発生すると考えられている。他者が自我よりも先にあるのである。

2,(一/多)に準拠する独我論
 (一/多)のうち,一のほうをマークして提示される独我論である。世界には根本的に1つの実体的存在しかないという思想である。多様に見える現象世界の背後に,1つの実体的存在があり,世界はその1なる存在の部分であるというわけである。スピノザの無限実体としての神がこれにあたり,汎神論的独我論と呼びたい。
 これと反対の思想は,(一/多)のうち,多のほうをマークして提示される原子論である。デモクリストの原子論がこれにあたる。

3,(同一性/別異性)に準拠する独我論
 (同一性/別異性)のうち,同一性のほうをマークして提示される独我論である。世界にある全ての存在の本質は同じあり,結局は本質のレベルでは1つの存在にしかすぎないという思想である。ウパニシャッド哲学の梵我一如思想や老荘思想の万物斉同論がこれにあたる。
 これと反対の思想は,(同一性/別異性)のうち,別異性のほうをマークして提示される思想である。サールのリゾーム論がそれにあたる。

4,(意識/存在)に準拠する独我論
 (意識/存在)のうち,意識のほうをマークして提示される独我論である。意識のみが存在し,意識内容に対応する外界の対象は存在しないという思想である。これは,現象学的還元で語られる独我論である。現象学は,方法論的に,外界の対象が存在するのかしないか問うことを判断中止し,独我論的立場から厳密な学としての認識論を打ち立てていったのである。一方,存在が意識を規定するというテーゼに立つマルクス主義=唯物論は,そのような立場を観念論として斥けた。
 これと反対の思想は,(意識/存在)のうち,存在のほうをマークして提示される思想である。素朴実在論やマルクス主義=唯物論がこれにあたる。
 
     独我論の相対化
 
 独我論は,ある意味,簡単に弁証法的に相対化できる。つまり,準拠する区別の反対の項をマークした反対の思想をアンチテーゼとして定立することで,相対化される。しかし,そのような相対化は,よく行われており,対立を回避するどころか,両方が相対的に対峙するだけにとどまることがある。その理由はあきらかである。反対の思想も独我論と同じ区別=コードに準拠しているからである。

 
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by merca | 2007-01-30 21:42 | 理論 | Comments(0)
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