ニヒリズムのコード

 全ての思想・論理・社会・社会問題は、区別によって生ずる。

 「一切は区別によって生ずる」という妙理は、仏教思想などでも、見受けられる。我着(自己の関心)による分別によって娑婆世界が立ちあらわれるというのがそれである。生物学における生命もシステムならば、区別によって生ずることになる。フロイトの精神分析学は(意識/無意識)、カント哲学は(現象/ものそれ自体)、マルクス主義は(意識/社会的存在)、デリダの思想は(構築/脱構築)というコードによって生ずる。大凡、区別に基づかないものはない。

 この物理空間=世界も、時間コードである(過去/未来)と、空間コードである(内/外)という分別によって認識に立ちあらわれ、現象化する。

 ニヒリズムとて例外でない。ニヒリズムは、(意味/無意味)という区別コードに基づき、無意味を指し示した思想である。ニヒリズムは簡単に相対化される。ニヒリズムは自己を主張することで、かえって常に、その反対の項に位置する道徳的原理主義者から攻撃を受けることになる。ニヒリズムは、コミュニケートされることで、かえって道徳的原理主義者を繁栄させることになるのである。ニーチェの愚かな点は、ここである。コミュニケーションの妙理を全く見抜けなかったのである。道徳的原理主義者たちは、ニヒリストを改心させるという運動に生き甲斐を見い出し、よけいに活気がでることになるのである。

 同じくポストモダンの論客たちが価値観の多様性を唱えることで、よけいにその反対である道徳的絶対主義者がはびこるのである。また、科学主義者が、科学的エビデンスが必要だと言えばいうほど、スピリチュアリズムは流行るのである。また、平等主義者が平等主義を唱え、差別解放を叫べば叫ぶほど、伝統を信奉する保守的差別主義者が現れるのである。

 思想空間の議論コミュニケーションにおいては、ニヒリストが道徳主義者をつくるのである。絶対的善悪の基準がないと豪語し、全ての道徳を相対化して批判するインテリ学生の弱点を述べよう。
 実は、ニヒリストのインテリ学生を(目的/手段)というコードで観察すれば、ニヒリズムを自己の知的優越性のために利用していることがわかるのである。道徳主義者や宗教者に対して絶対的な善悪はないという馬鹿の一つ覚えで批判することで、自分が知的に優越していると思いたいだけなのである。論争において他者に対する知的優越性を誇りたいために、ニヒリズムを利用しているのである。(知的優越性/知的劣等性)というメタコードにニヒリズムのコードを再参入しているだけなのである。(知的優越性/知的劣等性)は、学歴社会の受験競争におけるコードでもあり、やはりニヒリストのインテリ学生は社会から植え付けられた価値観に洗脳されていることがわかるのである。
 これに気付いているニヒリストのインテリ学生は、あまりいないのである。区別論的解脱によって、自己の欲望が見えてくるのである。
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by merca | 2007-02-04 12:01 | 理論
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