合理的選択理論の前提

 規範や道徳なしに社会統合を説明する社会理論として、合理的選択理論というのがある。宮台の「権力の予期理論」も、合理的選択理論に予期の構造を接合したものであり、基本的に合理的選択理論の系譜に属する。合理的選択理論は、社会選択理論と呼ばれることもある。

 さて、合理的選択理論では、個々人の選択の総和によって、一つの社会状況が生まれると考えられている。予期理論となると、もう少し複雑であり、自我の選択が他我の選択との関連のなかで生ずる現象を分析することになる。それは、単なる目的-手段の経済的行為ではなく、相互選択であり、一つのコミュニケーションとなる。自他の相互選択を要素とする社会システムが創発されることになる。
 実は、社会規範と見えるものは、予期の構造として解釈できる。社会規範や道徳に、サンクションが伴うことを考えれば、それはわかる。社会規範を逸脱すると、非難され、社会規範に従うと、褒められる。道徳においても心の内面のレベルで、心理的賞罰機能を伴う。つまり、多数の他者(他者一般)からの賞罰の予期のことを社会規範という。それを心的システムのレベルで観察すると、道徳になる。
 社会規範や道徳が先にあるのではなく、多数の他者からの賞罰の予期とその構造によって、社会規範と道徳はつくられるのである。

 このような合理的選択理論の前提は、主体としての合理的な個人が存在することである。しかし、個人なるものは、つくられたものであることは明らかである。近代的な個人は、近代社会のユニットであり、個人という観念そのものが構成されたものにしかすぎない。前近代社会には、個人というものは存在しない。近代化を対象とする社会学ではそのように個人というものを捉える。個人が構成されたものであるかぎり、当然、究極的に合理的選択理論も構成されたものにならざるを得ないのである。
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by merca | 2007-02-06 22:55 | 理論
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