合理的選択理論批判

 実は、合理的選択理論は、規範的、道徳的行為理論と同じ構造をもつ。合理的選択理論においては、個人は自己の利益促進という目的にとって一番合理的な手段を選択するという行為図式をとる。言い換えれば、将来の目的達成のために自分の感情や快楽を押さえて、一番適切な手段をとるということである。目的のところに、道徳や規範を代入すれば、そのまま規範的、道徳的行為理論と同じである。目的のために、現在の自己を統制するというわけであるから、行為の構造自体は道徳的行為と変わらない。道徳的行為においても、道徳という目的に服するために最適な行為を選択するというわけだから同じなのである。合理的選択理論も規範的、道徳的行為理論も、(目的/手段)という区別コードに準拠しているのである。
 ただ相違点は、その目的の内容が、個人的、利己的であるか、集団的、利他的であるかの相違があるだけである。行為の構造自体は、同一である。最近の合理的選択理論では、この目的にあたる部分を価値選好という表現で内容を抽象化し、必ずしも利己をさすとは限らないようにしている。そうすることで、合理的選択理論に道徳的行為も読み込むことが可能になる。
 しかし、ある目的のために現在の行為を統制・選択するという行為図式そのものは、そもそも規範主義的、道徳主義的である。目的達成に最適な手段しか選択してはならないという義務観念だとしたら、一種の規範や道徳意識とも言えるからである。

 実のところ、合理的選択理論が実際に成立するためには、全ての人間が目的達成に最適な手段しか選択してはならないという規範や道徳を共有しているという大前提が必要なのである。規範や道徳によらずに社会秩序を説明しうると主張する当の合理的選択理論が、かえって規範や道徳という超越的な同一性を密かに取り入れているのである。
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by merca | 2007-02-24 00:37 | 理論 | Comments(0)
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