合理的選択理論の賞味期限

 社会学者マックス・ヴェーバーは、近代社会では、合理性が社会の隅々に浸透すると指摘した。合理性とは、目的達成のために最短の手段を選択するという思考回路である。合理性を尊重する思想を合理主義という。そして、合理性そのものが一つの道徳規範として機能していると見なしたところにヴェーバーの卓見がある。とりあえず、このような合理性に準拠した道徳規範を合理性規範、合理主義道徳と呼んでおきたい。

 合理性規範においては、合理性のないものは無用のものとして排除され、合理性のあるものは肯定される。ちなみに、近代社会では、宗教や迷信は、合理性のないものとして排除されてきた。合理的選択理論や社会的選択理論は、合理的な個人を要素として構成された社会理論である。いうまでもなく、個人に合理性規範ないしは合理主義道徳が内面化されているという前提の上で成立つ理論である。個人の自由は、合理性の名のもとに制限を受けるのである。不合理な行為を選択する自由はないのである。合理的選択理論や社会的選択理論は、社会学史においては、方法論的個人主義の系譜に属すると言われているが、本当は道徳規範の内面化や共有という規範主義パラダイムを前提としているのであり、デュルケームやパーソンズのような方法論的全体主義を否定してはかえって成立たないのである。

 しかし、近代社会が合理性に浸透された社会ならば、合理的選択理論や社会的選択理論は、それなりに現実の社会を記述・構築する理論としては有効である。ただし、これも生産中心の産業社会=近代社会前期の理論である。今を忍んで未来の目的のために努力するという生き方、つまり社会学者宮台真司のいう(意味/強度)という区別に準拠すると、明らかに意味の側に位置する立場である。近代社会前期では、多くの日本人は、「いい学校、いい会社、いい人生」という物語=目的のために快楽を押え努力してきた。ところが、近代社会後期である消費中心の成熟社会では、今が楽しければいいという強度の立場が浸透してきている。合理的選択理論や社会的選択理論も、合理的な個人ではなく、強度や快楽に準拠した個人からなる成熟社会を分析しえず、賞味期限が切れているかもしれない。
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by merca | 2007-02-24 10:46 | 理論 | Comments(0)
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