関係主義という理想主義

   内藤朝雄著「いじめと現代社会」論評3

 内藤氏は、自由、平等・人権が人間をバラバラにするという全体主義者の誤ったレトリックを暴露している。全体主義者のレトリックは、昔からある個人主義に対する古典的な批判である。つまり個人主義は、人間の連帯を解体し、バラバラにするという批判である。このような批判の前提には、現実に人間は人間関係の中でつくられ、人間関係の中で生きる意味や幸福を実現する存在であるという関係主義がある。人間にとって必要な人間関係を否定する個人主義は、けしからんというわけである。しかし、個の権利を主張することがそのまま全ての関係性を否定すると考えてしまうのは、おかしい。共存社会で否定される関係性は、強制的な関係性のみである。強制的な関係性とは、人間に同質性を全面的に押し付ける共同体的関係性である。そのような関係性は排除されるが、関係性そのものを否定するではなく、むしろ自己選択によって多様な関係性を築くチャンスが多く獲得できる社会がいいという。内藤氏は、それを「きずなユニット」と呼んでいるようである。
 内藤氏のいう共存社会は、個人の意思に反して関係性や共同性が強制されることがなく、自他の意思の合意の上で自由に多様な関係性や共同性をにつくりあげることができる社会なのである。

 人は人の中で人となり、人が人を必要とするというのは、確かに真理である。しかし、同時に、いじめや虐待のように人が人の中で人格を剥奪され、非人間化され、人は人にとって狼となるのも真理である。短絡的な関係主義者や共同体主義者は、人間関係のプラス面しか見ていない理想主義者である。このような短絡的な理想主義者が、個人主義や人権思想を否定しても、説得力に欠くのである。人権主義者を理想主義として非難する伝統主義者がいるが、実は、人権主義者のほうが人間のマイナス面を観察した現実主義者なのである。関係性が人間にとってマイナスに転化した時には、いつでもその関係性から離脱できる社会の仕組みをつくる必要があるのである。そのための社会全体の仕組みが人権思想に基づく日本国憲法である。

 
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by merca | 2007-03-03 09:03 | 理論
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