普遍道徳としての人権思想は可能か?

 人権思想に人類普遍の道徳としての資格があるか論じたい。そもそも道徳とは、人と人の関係性におけるあるべき規範である。道徳は、人間どうしの関係性の範囲によって規定される。だから、共同体の道徳は、その共同体の成員の中でしか正当性を持ち得ない。しかし、人権思想の関係性の範囲は、全ての人間であり、特定の国家や共同体を越えている。全ての人間どうしの関係性を範囲とする。範囲においては、人権思想は、普遍道徳としての資格はある。民族主義や伝統主義などの関係性の範囲が限定された道徳は、人権思想によって相対化されてしまう。
 人権思想に匹敵する関係性の範囲をもつ思想が他にいくつかある。例えば、レヴィナスの他者論など、全ての人間を対象とする哲学は、全て道徳化ないしは倫理化できる。
しかし、原理上、人権思想の関係性の範囲は、自由と平等をもつ個人からなる近代社会の成員だけである。人権思想でいう人間とは、近代社会の取替可能なユニットなのである。まずは、近代社会に登録されていないといけない。近代社会以外の人間を含めるためには、他者論を応用するしかない。(取替可能=個人/取替不可能=実存)というコードで区別すると、人権思想は取替可能、他者論は取替不可能に対応することになる。他者論のほうが射程が広いのである。

 また、人権思想のコードは、(人間/動物)である。人権思想を相対化できるのは、(生命/非生命)というコードに基づく思想である。例えば、仏教思想である。人間だけではなく、生命あるものに対して尊重し、憐れみをかける思想であり、人権思想よりも射程が広い。
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by merca | 2007-03-04 00:55 | 理論 | Comments(0)
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