システム論の欠点

 ルーマンのシステム論には一つの欠点がある。連続性あるいは連続的変化を扱うことができないことである。一切の存在は絶えまなく変化し続けているが、その変化は連続的である。空間移動も形状変化も意識の持続もそうである。流れる川のごとく一切は常に変化している。仏教では所業無常と呼ばれる真理である。
 もともとシステム論は区別の論理であり、連続性を許容しない。世界の連続性を区別によって裁断したとしても、裁断しきれず、かならず規定され得ない部分が残り、世界の未規定性は克服され得ない。

 絶えまなく運動する存在としてシステムを捉えなおす必要がある。実は、自己言及のパラドックスは運動する存在には起こり得ず、それ故、また再参入する必要もない。パラドックスは、事物を区別することから生じる。ゼノンのパラドックスがその事例である。連続的に変化する存在を区別して捉えることから生じるのである。

 運動する存在として事物を記述する哲学的概念は少ない。コミュニケーションも一つの流れである。社会も切れ目のない流れである。一切は流れである。

 流動型システム論を提唱したい。実際には、自他の境界(システムと環境の境界)は、絶えまなく連続的に流動しているのである。
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by merca | 2007-04-10 22:03 | 理論 | Comments(1)
Commented by Orange at 2007-04-14 06:33 x
今、このブログに出会えました。私は周りから煙たがれ距離を置かれてます。それは私が望んだからです。学歴はありませんが誰も彼も嘘だらけで幼少の頃から辟易としてました。幼稚園の頃に眠いのになんでここに来ないといけないんだ。とぶち切れ両親が呼ばれました。カテゴリは殺人だと学びました。見た目でも立派な大人に成ろうと演じたらやっぱり、みんな離れて行きました。私は快楽主義者と言ったら多からず少ない方々に会えました。2001年のキューブの深読みですが大脳を司どる小脳とその智恵とmercasありがとうございます。
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