スペンサー・ブラウンの根本的誤謬

 区別とは境界である。境界は、囲み込むことで囲み込まれた内部領域と囲み込まれていない外部領域に世界を分割する。一つの円を思い描いてもらいたい。境界によって世界は二分割される。それとそれ以外の二つに分ける。このようなやり方で、スペンサー・ブラウンは、現象世界の成立を説明しようとした。
 これがスペンサー・ブラウンの形式の法則と呼ばれるものである。オートポイエーシス・システム論、ルーマンの社会システム論、大澤真幸の第三者審級論は、すべてスペンサー・ブラウンの形式の法則を基礎にしている。システムと環境の区別も、囲み込みよる境界に基づいている。
 ところが、形式の法則は、欠陥がある。大澤真幸は一つの境界の究極的未決定性を他者論(他者の指し示しとの関係)によって克服しようとしたが、私はそれ以前の前提に問題があると見ている。
 形式の法則では、一つの存在は囲み込みによって自己同一性を得るわけだが、その境界は他の一つの存在と重なることはないと考えている。しかし、本当にそうだろうか? 実は、そうではないと直観した哲学もある。一つはライプニッツのモナド論、もう一つは華厳教の事事無礙法界の存在論である。どちらも、一つの存在が自己の外部にある無数にある他の存在を映し出す窓口や鏡のように捉えている。華厳教の喩えでは、一つの珠が世界にある無限の珠をその表面に写し出しているという例えがある。これは、他の存在の境界が一つの存在の境界に一部入り込んでいることを意味している。つまり、一部、境界が重なっている。スペンサー・ブラウンの形式の法則では、そのような事態は無視されている。

 もし一つの囲い込まれた存在が他の一つの囲い込まれた存在と境界を共有するという事態を認めたら、スペンサー・ブラウンの形式の法則は、一から崩れさり、それ故、それを基礎とするオートポイエーシス・システム論、ルーマンの社会システム論も成立たない。
 実は、囲み込み境界の分離原則こそが、スペンサー・ブラウンの形式の法則の生命線である。このことに敏感であるシステム論者はほとんどおらず、安易にシステム論を利用し、コミュニケーションを論じている。
 
 そこで、スペンサー・ブラウンの弱点である境界の分離原則を取り外し、別の演算方式を考案し、他者論、単独性、無為の共同体などの超越論的世界についても、適用可能な実存の法則を定式化したい。ちなみに、ライプニッツの微積分の考え方は、一部それに成功している。別の演算法則に基づいたシステム論をつくりたい。
 
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by merca | 2007-04-14 10:06 | 理論
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