過剰流動性の定義

「幸福論」では、幸福の社会工学、恣意性、過剰流動性、感情的安定、エリートと非エリート、多様性の受容などの言葉が飛び交い、これらを巡って議論がなされている。
これらの前提をまずは疑ってみたい。

 鼎談は、過剰流動性という前提に立って議論している。過剰流動性とは端的に言うと交換可能性を本質とする社会システムのことを意味するようである。社会システムが人間生活の全てをおおい、生活世界を圧迫し、交換可能なシステムの中で、人々が感情的安定性を得ることができない不安を問題視している。
 労働社会では、派遣会社のシステムがこれを代表していると考えられる。短期間で職場を転々と変わる。その都度、新たな環境におかれ、安定的な生活を保てなくなる。そこから将来の不安が生じてくる。また、出会い系サイトのように、恋愛においても、恋人がコロコロと変わっていく。また、離婚率の上昇に伴い、母親が何度も離婚し、子供にとっては義理の父親がコロコロと変わるシングルマザー的家族も多くなっている。取替えのきかない安定的な居場所がなくなってくる。近所も単身者の転居が多く、隣人がコロコロと変わる。これは、故郷喪失と言替えてもいいかも知れない。故郷は取替え不可能な居場所であるからである。
 
 しかし、よく考えれば、 戦後昭和初期の農村から都市への人口移動も流動的だと言えば流動的である。昭和初期の都市化現象との差異は何なのか? この点、明らかにしておく必要がある。ちなみに、戦後昭和初期の農村部から移動してきた都市市民たちは、結婚してマイホーム家族をつくったり、企業の家族的経営や労働組合を居場所にしたり、創価学会などの新興宗教や共産党などの中間集団が人間的紐帯を与えたりした。流動性や孤独化にまつわる不安に対して、核家族や中間集団が利用された。
 近代社会後期の過剰流動性は、人口移動とは異なると考えられる。流動はしているが、質的なステップアップや進化があるわけではなく、一つの閉じられた空間で永遠回帰あるいは輪廻しているイメージに近い。むしろ質的には何も変化しておらず、進歩がない流動性である。戦後昭和初期では、働けば働くほど、豊かな生活を獲得できるという目標があり、進化することができた。ところが、近代社会後期の過剰流動性においては、努力しても、その輪廻の輪から解脱することはできない、働いても金が貯まらない。ワーキングプアがそれである。不安とは、その輪から抜け出たら、地獄しかないという不安だと思われる。上への移動はなく、下への移動のみあるということであり、さらに不安を掻き立てる。
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by merca | 2007-04-21 08:07 | 理論 | Comments(0)
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