(もの/こと)に準拠したシステム論の構築

 
 (システム/環境)に準拠したオートポイエーシス型のシステム論は、述語型のシステム論である。(主語=項=もの=要素/述語=関係=こと=システム)という区別で観察すると、「こと」を「もの」と見なす、あるいは関係を項と見なす誤謬=カテゴリーの混同に基づいていることがわかる。つまり、述語の主語化である。これは、「もの」のこと化であり、別の言い方をすると、一種の物象化でもある。要素は項であり、関係はシステムであると言えるが、システム/環境という二項関係を想定することは、そもそもシステムを項=要素と見なす誤謬に基づいている。この誤謬がルーマンのシステム論の出発点であり、その正体である。

 (もの/こと)、(主語/述語)、(項/関係)、(要素/システム)という区別は、それ以上、遡ることができない根源的区別である。なぜなら、その区別の反対がそれ自身であるところのものであり、いかなる他の区別からも観察不可能であるからである。

 一般システム論のメタコードは、(システム/環境)ではなく、(もの/こと)、(主語/述語)、(項/関係)、(要素/システム)である。このコードは、オートポイエーシス・システム論にも適用される。オートポイエーシス・システムのコードである(システム/環境)という区別が(項/関係)という区別によって誤謬であると観察できるからである。
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by merca | 2007-05-06 15:13 | 理論 | Comments(3)
Commented by 山人 at 2007-05-14 01:57 x
オートポイエーシスの要諦は、まさに「こと」であるものが、作動的閉鎖を通じて個、すなわち「もの」になることなんですがね。
Commented by 論宅 at 2007-05-14 23:32 x
こんにちは 論宅です。山人さんのコメントはあらゆることろで拝見しています。確か、真システム論のてーげー革命の掲示板で拝見した記憶があります。
 エクルスさんというネットではかなり有名なルーマンマニアの方がおられますが、友達でしょうか?
 山人さんのブログがあれば拝見したいです。山人さんも以前のわたしのようにブログなしの放浪の社会学コメント屋なのでしょうか?
 さて、ことがもの化してある種の個となることが閉鎖システムであるのなら、システムの要素は個ではなく、逆にこと=機能となるということでしょうか? つまり、ことのもの化は、同時にもののこと化も伴うということです。
 そうであれば、情報学ブログさんとの論争は、山人さんに軍配があがります。その点、バベルさんにも聞きたいです。
Commented by 山人 at 2007-05-17 14:48 x
残念ながらブログは持っていませんし、エクルスさんも知りません。第三者のブログでこうして議論をするのも妙な感じがしますがw。オートポイエーシス・システムとは、基本的に産出プロセスというコトの閉鎖したネットワークです。これが再帰的に閉鎖することで、円が独立するのと同じ理由で、他のすべてのものから区別される個体、つまりモノになるのです。
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