世界論の立場からすれば、心も物質もシステムであり、外と内の区別をもつ。
全てが心がつくりだした現象だとする意識一元論も、世界=心と等値した時点で、心は心と表現する必要はなくなる。なぜなら、一切は心がつくりだしたものならば、差異は寂滅するからである。
全てが物質(あるいは脳神経)がつくりだした現象だとする物質一元論も、世界=物質と等値した時点で、物質は物質と表現する必要はなくなる。なぜなら、一切は物質がつくりだしたものならば、差異は寂滅するからである。
その範囲が一切であるものは、世界そのものと等値されてしまい、外がなくなり、自己の意味境界を失い、寂滅する。心と物質の区別があるからこそ、互いを外として認識できる。心も物も、つまるところ存在の両側面である。