(学力/人間力)という二元コード

 教育評論家の森口朗 様への回答。
 
 嘆いておられるのは、二項対立区別になってしまったことですね。(学力/人間力)の二項対立図式になってしまい、学力の反対は人間力であり、人間力の反対は学力のようにコード化されてしまったということだと思います。人間力の中には、対人関係能力だけではなく、別の能力も含まれていてもいいはずです。根気強さ、あるいはスポーツや芸術ができる能力とかです。本来、人間力の中の一要素として学力を位置付けてもいいはずです。
 二項対立区別図式になってしまうのは、誰の立場からの観察であるかが影響しています。
 学力と人間力は、子供の立場から観察すると、勉強と友達と簡単に表現できると思います。子供にとっては、大きく言うと、学校は勉強をするところ、友達をつくるところとして意味付けられます。学校の授業は勉強のためにあるフォーマルな秩序です。それとは別に、子供達は同級生と友達になり、インフォーマルな仲間集団を形成します。いじめ・不登校は、このインフォーマルな集団の中で発生します。子供は学校で二つの関係を生きます。フォーマルな教師-生徒関係=勉強、インフォーマルな生徒-生徒関係=友達です。この二つの領域が学校の全てを覆っている状況では、二項対立的に区別意識を発生させます。勉強が苦手な子は、勉強はできないけど、友達が多くいるから俺のほうが上だとか思うわけです。また、友達がいない子は、遊んでばかりで勉強をしない連中は馬鹿だと思います。このような現実が、(学力/人間力)の二項対立図式の根底にあるメタコードであると見ました。
 
 まとめると、(学力/人間力)という区別は、(勉強/友達)というメタコードで、子供たちや学校文化を内面化した人たちから観察され、つまるところ、対立図式化されてしまい、学者や文部官僚の考えた人間力という概念は意味内容が別様にコミュニケートされてしまったということです。全ての概念は、受け取る側の区別によって、ずれて解釈され、変容を遂げます。
[PR]
by merca | 2007-05-22 08:43 | 社会分析
<< 道徳意識・規範意識の測定 道徳的責任といじめ >>