社会学者・鈴木謙介

 社会学者・鈴木謙介。
 
 社会学の巨人・宮台の弟子の中で、唯一、時代に対する鋭い嗅覚を受け継いだ社会学者である。まず、風貌の点において、他の弟子を凌駕している。これは大きい。時代の感性を察知する能力は、宮台からこの男に受け継がれた。
 
 「ウェヴ社会の思想」について、私の意見を述べたい。
 私が注目したのは、「事実による連帯」という社会現象である。宮台の成熟社会論は、価値観の多様化・過剰流動性というテーゼを抱え、「まったり革命」を宣揚し、知的な一部の若者の支えとして登場して来た。宮台理論の内容が真理かどうかは別として、若者にとってはマルクス主義に変わる一つの大きな物語として機能していたのは確かだと思われる。「まったり革命」を信じた若者は、宮台に癒された。男子に多いが、宮台理論で救われたプライドの高い地方の若者は多くいる。プチ宮台たちの誕生である。10年前の若者には、宮台思想はフィットしていたが、後期近代仮説である「まったり革命」の挫折以降、若者に対する影響力は減少した。共同体なるものの必要性を論じる構えに変わって来た。転向する前に、柄谷行人と戦って欲しかった。
  
 さて、本題に入るが、物語=大きな社会理論=世界の解釈図式ではなく、小さな事実によって若者たちが連帯しだしたということが気になる。マンガ嫌韓流やゴーマニズム宣言では、若者達に事実を知らしめることで、左翼的言説の虚構性を暴き、自虐史観からの脱却を目指している。そして、若者を惹き付けることに成功している。統計や歴史的資料を見て、本当はそうだったのかとうなづき、積み重ねられた精緻な事実をもとにして連帯するのである。
 このような作法は、リベラルな立場にある人たちにも採用されている。治安悪化神話解体運動、俗流若者論批判、疑似科学批判論を唱える人たちも、その思考の系譜にあたる。宮台氏のロマン主義的な成熟社会論という大きな物語による連帯は、意味を求める若者には自我の支えとなり適合的であったが、事実を絶対化する若者達には通用しない。
 
 しかし、考えてみよう。物語なくしては、未来を語れないことを・・・。単なる事実だけからは何の価値も出てこない。事実を解釈して利用する物語が必要である。科学は事実を追求するが、科学的事実だけでは、生きる意味や価値を見つけだすことはできない。このことは前にも私は論じた。物語とは、価値である。未来を語れない人々は、動物と同じである。
 (事実/物語)は、(認識/価値)の区別に対応している。価値観が多様化したせいか、共有できる物語がなくなり、事実としての情報だけが氾濫している。このままでは、欲望のまま事実としての情報をやり取りするだけの動物になってしまう。情報を消費するアニマルである。認識は事実を生み出し、物語によって事実が解釈されることで価値が生み出される。
 人々が共同で社会をつくっていくという作業には、未来を語ることを可能にする物語が不可欠である。未来を語れない若者は、データ=事実に基づいた宿命をあるがままとして受け入れることになる。未来を変えようとする物語をもって欲しい。物語は成就すると、未来の事実となる。(事実/物語)を弁証法として捉えた時に、動物化を免れる。
 基本的に(事実/事実でない)という科学的事実絶対主義の若者が準拠するコードは、未来に対しては適用外である。なぜなら、過去に対しては(事実/事実でない)は成立するが、未来は今だ起っていないし、目的意思によってつくることができるからである。

 宮台は、成熟社会の物語としての「まったり革命」を提案し挫折したが、ガンダムの逆襲のシャアのごとく、今後、国家的共同体主義者として知的若者を先導していくであろう。その意味で、宮台はシャアである。少なくとも、宮台に共感した若者たちはシャアとしてイメージしたはずだ。
 
   社会学は大きな物語を生産できる唯一の社会科学である。

 
[PR]
by merca | 2007-06-03 18:27 | 社会分析
<< 単位制高校の社会的機能 ブログ予告 >>