道徳(区別と物語の結合体)

 区別による観察は、あらゆる現象の基盤を露にする。
 
 全体社会の国民道徳は、(国民/非国民)という区別に基づいている。従って、そこからは日本国籍のない外国人は排除される。だから、国民道徳を子供に押し付けることは、差別につながるおそれがある。
 小林よしのりが、人々が生きていく関係性の範囲を国民社会に設定して議論をしていることは興味深い。人は一つの国民社会の中で生き、そこで死んでいく・・・。だから、自己の所属する国民社会における道徳さえ考えれば良い。その道徳は基本的に天皇制という大きな物語=神話によって支えられる。そうすることで、道徳問題に帰着する全ての社会問題は解決する。このように思考するわけである。

 道徳は、物語=神話によって支えられる。「汝殺すことなかれ」という普遍道徳ですら、聖書の神話や仏教の業思想によって支えられている。物語の崩壊は、同時に道徳の崩壊をもたらす。

 国民道徳は、人権思想から観察すると、(国民/非国民)という区別に準拠していることがわかるが、世界宗教から人権思想を観察すると、(人間/人間でない)という区別に準拠していることが露になる。人権思想では、人間が絶対化され、人間でないものは排除される。動物・草木などの他の生命は排除される。

 人権思想も一つの道徳である。だから、物語を必要とする。人権思想の物語は市民革命である。フランス革命、アメリカ独立戦争などの市民革命こそが、人権思想を支える物語である。あるいは、ヘーゲルの法の哲学という神話も含まれるかも知れない。悲しいかな、日本人は人権思想を道徳として内面化しようとしても、市民革命というセットになった物語を共有しておらず、人権思想は道徳として内面化しにくい。

 区別による観察によって、道徳は全て自己の準拠する区別を露にし、相対化される。また、文化社会学的思考によって、道徳を支える物語=神話が発見される。全ての道徳は、区別と物語に基づく。区別は道徳の範囲を表示し、物語は道徳の強度を担保する。一つの道徳が伝えられるためには、物語を必要とする。物語なしには道徳は人から人へ伝わらない。だから、どんな宗教の聖典も一つの物語になっている。また、道徳は、人格を通して伝わる。人格と人格の信頼関係を通して伝わる。物語を語るものは、それなりの人格を要求される。道徳の物語を実践している者のみ道徳を語る資格がある。道徳教育ができる資格がある教師がいるだろうか? 道徳を教えるというおごりからは、道徳は教えられない。
 学校教育で道徳教育を科目とする動きがあるが、道徳というものを軽く見過ぎているのである。道徳とは、そんなに簡単なものではない。

 区別による観察を免れ、いかなる物語も必要としない倫理的な現象がある。それを他者愛という。実践つまり事実がそのまま物語をつくるような行為である。マザーテレサや夜回り先生に見られるような行為である。他者愛は区別を越える。なぜなら、他者はいかなる区別からもはみ出る超越性をもつからである。

 西洋社会の物語に支えられた人権思想という道徳に感動する日本人はいないが、多くの日本人は、マザーテレサや夜回り先生の話を聞くと感動するのである。社会共同体の区別を真に越えるものは他者愛だけなのである。 
[PR]
by merca | 2007-06-10 17:37 | 社会分析 | Comments(0)
<< カノンコードの思想 単位制高校の社会的機能 >>