「日狂組の教室」書評

 「日狂組の教室」という本が出た。マンガ嫌韓流の手法をそのまま取り入れている。現代の若者の事実志向という傾向を察知し、歴史的事実でもって左翼主義者がもつイデオロギー神話を打ち砕くという話になっている。確かに面白い本である。嘘にとりつかれた大人たちが相対化され、共同幻想の物語が砕かれていく様は痛快である。

 二点ほど指摘したい。一つは、左翼イデオロギーであるマルクス主義や自虐史観は、エリートになれなかったうだつのあがらないホワイトカラーたちにとってはエリートに対する対抗思想として機能していたことである。本当のエリートになれなかったホワイトカラーが労働組合に入り、体制側を悪とし、自己を正当化するための道具としてマルクス主義は利用されてきたということである。校長や教育委員会の役員になれなかった中途半端でプライドが高い教師たちの慰めの道具であった。臨床社会学的には、日本における左翼イデオロギーは、非エリートのルサンチマンを集合的に昇華する一種の物語療法だったのである。もう少し言うと、体制側にとっても、競争に破れたホワイトカラーたちのルサンチマンを飼い馴らす装置としても機能していたと言える。左翼イデオロギーをとおしてのみ体制側に反抗できるというのは、体制側にとってはかえって管理しやすいのである。
 
 もう一点、こちらのほうが危ない。事実志向の価値観である。事実がわかればおのずと正義に導かれるという安易な思想が見て取れる。若者も左翼の大人も、事実が分かれば改心するという憶断的確信に支えられている。事実・真実を知ったら正義や幸福に導かれるという発想は、純粋まっすぐ君達の発想であり、真理を求めてオウム真理に入信した若者達とかわらない。理性的啓蒙に取り付かれた古い考えである。
 
 事実によって人は動き、正義や幸福に導かれるという思考は、社会科学的・行動科学的には誤りである。人は、事実・真実を行動原理とすることはあまりない。多くの人は欲望や習慣や道徳を原理として動く。事実のみが人を動かすという人間観察は未熟すぎる。そのような未熟な思考のものたちが宗教や左翼思想に騙されるのである。システム論者であるルーマンカルト達とは、そこが異なるのである。社会学的啓蒙に準拠する我々ルーマンカルトの連盟は、(真/偽)というコードを最上位にするかたよった態度はないのである。
 
 「日狂組の教室」の世界では、左翼も保守的若者も、事実によって人は動き、正義や幸福に導かれる、あるいは正義や幸福に導かれるべきだとする道徳的幻想=物語にとらわれていることに全く気づいていないのである。左翼や右翼の危険性よりも、こちらのほうが怖いのである。

 それと、忘れてはならないことがある。逆説的であるが、事実に絶対的価値を置く「日狂組の教室」や「マンガ嫌韓流」そのものが、マンガというフィクション=物語を通して事実を伝えようとしている点である。やはり物語を通してしか事実は伝わらないのである。論理を何万遍も唱えるよりも、一つの物語にのせて情報を語るほうが人には内面化しやすいのである。
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by merca | 2007-06-16 08:07 | 社会分析 | Comments(0)
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