存在の第一原理の補足

 三次元体=感覚的個物=物体は、観察者の境界設定によって発生した構築物にしかすぎない。物体は、意味によって発生する存在であり、境界設定を共有する人間どうしの中でしか存在しない。つまり、命名的個物は人間に区別(内外境界の設定)され、一つの存在だと観察されることで創発される人工物である。この机、このパソコン、この人形、この鉛筆などである。また、自然集積体である、この石、この氷、この雲などもそうである。
 物体つまり三次元体の境界は観察者にとって恣意的であり、ある観察者にとっては存在し、別の観察者にとっては存在しない。
 しかし、生命体は、人間の恣意的主観によって構成された物体と異なり、人間から境界設定されるではなく、自らの境界を自らで自己決定し、人間の認識の恣意性を越えている。言い換えれば、自分から変化しているのである。空間上の境界を変動させつつも、存在し続けている。一般に境界が消滅することを死と呼び、境界が発生することを生と呼ぶが、境界は常に変化しているわけであり、その都度生死を繰返している。このことは輪廻転生における永遠の生命の論理的証明となる。
 ところで、厳密に言うと、いかなる個物も代謝しており、かたちを変えている。つまり、変化し続けている。所行無常である。特に、生命体は、細胞も入れ代わり、細胞を構成する分子も入れ代わる。従って、時間を通じての同一性は、空間の境界あるいは物質に根拠をもたない。
 真実在たるシステムは、要素をもつが、要素は別のシステムではなく、はたらきである。このはたらきというものは物質ではなく、五感を越えている。
 システムは物質を越えているが、物質世界に境界を引くことで、自らの境界を投射し、外部から観察できるものとして自己を露にする。
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by merca | 2007-07-09 05:33 | 理論 | Comments(0)
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