認知社会学批判

 認知社会学という社会学がある。自己,相互作用,社会は,カテゴリー化作用によって生ずると考える社会学である。つまり,認知社会学においては,自己=アイデンティティ,他者との役割関係,社会=集合体は,主観のカテゴリー化作用によって生ずるのである。例えば,学校において,子供は,ある大人を教師というカテゴリーで認知し,ある大人は子供を生徒というカテゴリーで認知し,相互にコミュニケーションをとる。そうすることで,学校という集合体あるいは組織体は成立するのである。これは,当たり前といえば,当たり前の現象であるが,自己,相互作用,社会が同時発生するという点において,創発論的システム論に並ぶ,斬新な視点なのである。その際,決定的に重要なのは,自他の主観的認知によるカテゴリー化作用である。ある人物を何々として認知するカテゴリー概念が重要な役割を果たすのである。自他によるカテゴリー概念による認知なくしては,社会は存在し得ないとするのである。

 すなわち,認知社会学は,あらかじめ人々の間に共通のカテゴリー概念あるいは言語体系が共有されていることを前提とするわけである。パーソンズが人々に共通の価値規範が共有されていることによって,社会(社会体系)は維持されると考えたのと同じく,認知社会学においても,人々に共通のカテゴリー概念あるいは言語体系が共有されていることで,社会は生ずると考えるわけである。この点において,社会構築主義と路線を異にする。社会構築主義やラディカル構成主義(ルーマンのシステム論)においては,自他の間に何ら共通の価値規範やカテゴリー概念を前提としないのである。
 むしろ,共通の価値規範やカテゴリー概念は,相互作用の結果,その都度,つくられるとする立場をとる。認知社会学においては、確かに,その都度,どんなカテゴリー概念を選択し,自他を認知するのかは,任意偶然である。しかし、それは、あらかじめ共有されている言語体系から特定のカテゴリー概念が選択されるだけにすぎず,基本的には共有を前提とする。認知社会学には,言語体系そのものがその都度更新され,変化していくという視点はない。認知の枠組みがその都度つくられるというラディカルさはない。
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by merca | 2007-07-22 09:51 | 理論 | Comments(0)
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