システム/環境の区別批判

1, システム/環境の区別批判
 これは,システム論が基礎とする区別による指し示しそのものへの原理的批判である。システムは事物を二つに区別し,片方を指し示すことで,創発することになる。指し示された項の関係がシステムとなり,指し示されなかった項は環境となる。このこと自体は,システム論でなくても,古くから,哲学でも,あるものを規定するためには,それ以外のものとの区別によって可能であるという論理として主張されてきた。ドイツ観念論では,ヘーゲルが区別とは否定であると言い表した論理であり,目新しくははない。
 ただ,この区別そのものが1つの全体性=同一性へと回収されてしまう,あるいは最初から1つの全体性=同一性の二側面ではないとかいう批判がある。ヘーゲルが,有と無の止揚として生成という概念を考え,絶対精神という1つの存在の自己展開であると考えたことからも,それは窺がえる。詰まるところ,システム論による区別は,より包括的な同一性=全体性に属しており,システム論は独我論の域をでないとして,批判するわけである。
 この批判が有効なのは,システム論が採用する区別が,対称的区別である場合だけである。対称的区別とは,区別された二項が互いに完全に限定し合っている関係を指す。あるものが区別された片方の項ならば,必然的に別の項は他方の項になるという関係である。「A=非A」という命題で表される。対称的区別の場合,区別された両項が互いの否定として完全に定義されるとことになる。確かに,社会システム論のコードである,(合法/非合法)や(支払う/支払わない)という二元コードは,対称的区別である。これらは,ゼマインティークと呼ばれる。ただし,これらが対称的区別にならざるを得ないのは,ある意味において当たり前である。というのは,(合法/非合法)の区別に基づく法システムも,(支払う/支払わない)の区別に基づく経済システムも社会システム内部での機能分化システムであるからである。つまり,これらのシステムは,はなから社会システムというより包括的な全体性に属しているからである。逆に言うと,法システム,経済システム,政治システム,教育システムなど,社会システム内部での機能システムは,全て対称的区別をコードとして創発されているわけである。

 さて,それでは,社会システムの(コミュニケーション/コミュニケーションでない)という要素にかかる区別コードは,対称的区別なのだろうか?この点,非常に難解である。(コミュニケーション/コミュニケーションでない)という区別が,何事について問われているかが問題であるからである。恐らく,「意識システムどうしの関係」について問われていると定義するのが適切だと思われる。意識システムどうしが関わった場合,それがコミュニケーションであるか,そうでないか区別されるわけである。複数の意識システムが関ったとしても,必ず社会システム論の定義するコミュニケーションを創発するかどうかは,わからないからである。フロイトのいう転移関係,ハーバーマスの対話,レヴィナスの倫理的関係は,社会システム論でいうところのコミュニケ−ションではないが、自他関係の一種である。つまり、システム論的な意味でのコミュニケーションでない自他の意識どうしの関係は多数在り,コミュニケーションでないものが直ちに特定・限定されるわけではない。コミュニケーションでないものの間には,コミュニケーションとの差異を表す同一性はない。差異間の同一性がない。つまり,コミュニケーションと転移の差異,コミュニケーションと対話の差異,コミュニケーションと倫理的関係の差異があるが,「意識システムどうしの関係」という意味地平の同一性以外は,この複数の差異のうちに共通の同一性を見出すことはできない。「意識システムどうしの関係」という同一性は,コミュ二ケーションも含まれるので,コミュ二ケーション以外の「意識システムどうしの関係」の差異間の共通の同一性足りえない。例えば,転移は,コミュニケーション以外のものであるという定義だけでは,説明できない。従って,(コミュニケーション/コミュニケーションでない)という区別は,対称的区別とは言えない。一般に,非対称的区別は,一と多の区別に対応する。自己と区別されるものが多数ある場合,多どうしの区別は,一のほうから完全に規定することはできない。Aではないという消極的定義になってしまうからである。

 対称的区別をコードとするシステムと非対称的区別をコードとするシステムを分ける必要があるが、分けていないために、混乱が生じている。

参考記事
http://mercamun.exblog.jp/6820354/
 
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by merca | 2007-08-05 11:37 | 理論 | Comments(1)
Commented by 山人 at 2007-10-01 00:25 x
決定的なことは、オートポイエーシス・システムは、システム・環境の差異が生じることによってはじめて成立するということです。差異が生じる以前にシステムは存在していません。すでに成立しているこの差異を破棄して考えられる状態が、ルーマンの言う世界です。だから、すでにシステムが成立している限り、世界は事実としては存在していません。したがって、これを全体として見ることはできないのです。
ちなみにコミュニケーション以外のものは、社会システムの構成素にならないだけです。その差異以外は問題になりません。
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