統計よりも議論が真理をつくる

 
 「幸福論」の評論で紹介した政治社会学者・堀内氏が面白いことを言っている。
 http://trickystar.blog59.fc2.com/blog-entry-68.html
  私が興味をもったのは、民主主義の真理観と科学の真理観の相違である。それに付随して、堀内氏の統計万能主義批判である。要約すると、正当性、妥当性のある社会的、政治的真理は、社会統計ではなく、議論によってつくりだされると主張している。さらに議論ができる前提には、規範的な社会観つまりあるべき社会の姿を所有している必要があるという。統計調査によって格差社会であることが証明されても、それがそのまま正当性のある政治的政策をつくりだすわけではない。正当性のある国家政策をつくりだすのは直接的には民主的な手続きに基づいた議論であるというわけである。 理想的発話状況において、対話的理性によって、真理をつくりだすと主張したハーバーマスの考えに近い。ともあれ、自然科学的真理は実験的あるいは統計的手法でもって真理をつくりだすが、社会的、政治的真理は人々の議論によってつくられることになるわけである。
 
 俗流若者論批判論者である後藤氏や治安悪化神話解体論者などが、統計的手法によって直ちに妥当で正当性のある政治的・社会的真理が導き出されると考えている点を批判していることになる。格差社会を論じるにしても、格差を是認する社会観の論者であれば、そのまま肯定される。格差社会を批判する人たちは、自らは自覚していないが、弱者保護を是とする社会観を隠し持っているのである。自己の「規範的な社会観」を表明せずに、科学的統計調査で社会的真理を手にしたと豪語し、科学がもたらす価値中立性のイメージを人々に抱かせ、先導するとしたら、それこそ悪しき大衆主義である。 ともあれ、政治的、社会的真理が統計によって直接つくられるとする人たちは、社会的リアリティの場に物理的リアリティを持ち込むという誤りを犯しているのである。(自然)科学的手法の万能化による誤謬がここでも明らかになっている。

 人々が従うべき妥当性・正当性のある法律=社会的真理は、統計がつくるのではなく、民主的議論によってのみつくられるのである。政治社会学者・堀内氏の指摘は正しい。
 統計調査万能主義や自然科学万能主義に対する批判運動が学術の世界でも起こるかもしれない。
  
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by merca | 2007-08-12 11:43 | 社会分析
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